前者=現代の(女性)政治家と、後者=歴史上の(女性)政治家では、政治であつかう対象がぜんぜんちがうので、比較しても意味がないような気がする。



国家の範囲がちがっていて、近代国家(広義国家)は、支配者だけでなく、被支配者も国家の構成員となっている。政治家も、支配者だけでなく、被支配者についても気を配らなければならない。だから、自分の選挙区の住民から陳情を受け、彼らに対する政策を政府に働きかけたりする。ネットで「保育園落ちた 日本死ね」という記事が話題になったら、保育行政について厚生労働省に質問をするわけだ。

これに対して、前近代国家(狭義国家)は、基本的には支配者だけの国家であり、支配者にだけ気を配ればよい。北条政子は、御家人間の力関係と、朝廷と幕府の関係だけ見ていればよく、日野富子は、守護大名の力関係と、京都の町衆や京都周辺の国人層くらいを見ていればよかった。政子にとって下人・所従=荘園にいる隷属農民、富子にとって形成されつつあった惣村に住む農民、そして、それ以外の被支配民に対して、何かをしなければならない理由はなかった。

歴史上の人物が自分と同じような人間だと思うこと自体がそもそものマチガイで、まったく異なった思考や感性の持ち主と考えた方がよい。歴史教育とは、本来、そのようなものなのだが、大河ドラマのような疑似歴史ドラマのせいで、誤った歴史観がこの国には蔓延しているようだ。

2016.12.07 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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