NHK正月時代劇「陽炎の辻 完結編 ~居眠り磐音 江戸双紙~」で、佐野善左衛門刃傷事件を扱っていた。

坂崎磐音(山本耕史)は、妻・おこん(中越典子)との間に八歳の長男・空也がいる立派な父親となり、町の小さな剣術道場主として穏やかな生活を送っていた。そこに一人の若侍が現れる。名は、松平定信(工藤阿須加)。現・白河藩藩主である。

吉宗の孫として、かつては次期将軍の有力候補であったが、その聡明さを恐れた老中・田沼意次(長塚京三)によって、白河藩へと養子に出されていたのだ。若い定信は打倒田沼を果たすため、磐音に弟子入りを願う。

一方、田沼の側近は、磐音と定信の邂逅を知り、新たな刺客を磐音たちにしむける。一剣術家として、ただ息子・空也の成長を願い、家族を守り抜きたい磐音だが、政治の権力争いの舞台に巻き込まれてしまう。

やがて田沼の息子・意知(滝藤賢一)が江戸城内で襲われるという事件の背後に定信が浮かび上がり、定信の無実を信じる磐音は動き始める…!

【陽炎の辻 完結編 ~居眠り磐音 江戸双紙~】物語

田沼意知を江戸城内で殺した刃傷事件の犯人が佐野善左衛門(政言)であった。

天明4(1784)年3月24日、江戸城中で、若年寄だった意知を「覚えがあろう」と3度叫んでから、一竿子忠綱作の大脇差で襲撃し、その8日後に意知が絶命したため、切腹を命じられた。葬儀は4月5日に行われたが、両親等の遺族は謹慎中であり出席できなかった。政言は無子のため長く佐野家は絶家となった。

犯行の動機は、意知と父・意次が先祖粉飾のために佐野家の系図を借り返さなかったこと、上野国の佐野家の領地にある佐野大明神を意知の家来が横領して田沼大明神にしたこと、田沼家に賄賂を送ったが一向に昇進できなかったことなど諸説あったが、幕府は乱心とした。

しかし、世間から人気のなかった田沼を斬ったということで、世人からは「世直し大明神」として崇められた。血縁に累は及ばず、遺産も父に譲られることが認められた。

上記の系図の件だが、佐野は、自家の系図に手を加えて、系図の明らかでない田沼家が佐野家の庶流であるように改竄を申し出て、恩を売ろうとした。しかし、出自に拘泥のない意次は、政務多忙もあって、佐野の申し出を放置した。これを、佐野は、系図改竄まで申し出た自分の好意を無にしたと逆恨みした、という説もある。だとしたら、迷惑な話だ。
ドラマでは、松平定信は善人で、田沼意次は悪人として描かれているが、それは史実ではないようだ。

2年後の天明6(1786)年8月25日、将軍家治が死去すると、意次は失脚した。これには定信ら反田沼派や一橋(徳川)治済の策謀があったとされる。2日後に老中を辞任させられ、雁間詰に降格。2か月後には、加増分の2万石を没収され、大坂にある蔵屋敷の財産の没収と江戸屋敷の明け渡しを命じられた。その後、蟄居を命じられ、二度目の減封を受けた。居城である相良城は打ち壊し、城内に備蓄されていた金穀は没収された。孫の龍助が陸奥1万石に減転封され、かろうじて大名の家督を維持できた。意次は、天明8(1788)年6月24日、江戸で死去した。

これは、側用人として権力を握った柳沢吉保や間部詮房が、辞任のみで処罰は無く家禄も維持し続けたことに比べると、苛烈な処分であった。定信ら反田沼派の執拗さを感じる。友人のT先生が、定信を嫌っていて、ボロクソにけなしていたが、なんかわかる気がする。


江戸時代、城内での刃傷事件が7件起きていた。以下、1)日時、2)被害者(役職)、3)刃傷の理由、4)加害者(一族)の処分を列挙する。

1.豊島明重事件
 1)寛永5(1628)年8月10日
 2)井上正就(老中)
 3)遺恨
 4)自刃。嫡子が連座切腹、他の一族は連座を免れた。

2.稲葉正休事件
 1)貞享元(1684)年8月28日
 2)堀田正俊(大老)
 3)原因不明、遺恨か
 4)惨殺、改易

3.浅野長矩事件
 1)元禄14(1701)年3月14日
 2)吉良義央(高家肝煎)
 3)原因不明、遺恨か
 4)切腹、改易

4.水野忠恒事件
 1)享保10(1725)年7月28日
 2)毛利師就(長門長府藩主)
 3)乱心
 4)お預け・蟄居。改易、しかし家名は存続

5.板倉勝該事件
 1)延享4(1747)年8月15日
 2)細川宗孝(熊本藩主)
 3)人違い?
 4)切腹

6.佐野善左衛門(政言)事件
 1)天明4(1784)年3月24日
 2)田沼意知(若年寄)
 3)遺恨?
 4)切腹。断絶するも幕末に再興

7.松平外記(忠寛)事件
 1)文政6(1823)年4月22日
 2)旗本5名
 3)遺恨
 4)自刃。部屋住みだったが、父は改易されず

3が、忠臣蔵で有名な赤穂事件だが、2の稲葉正休事件は、側用人が置かれるきっかけとなった事件で、柳沢吉保や間部詮房、田沼意次らはこの事件がなければ、歴史の舞台に登場できなかったかもしれない。しかし、幕府首脳がボンボンばかりになり、江戸時代が早く終ったかも…。

5は人違い刃傷事件だった。板倉勝該は、精神的に不安定で、家を維持できる状態ではなかった。本家当主の板倉勝清は、勝該を引退させ、自分の庶子に跡目を継がせようとした。それを恨みに思い、勝清を襲撃しようとしたが、板倉家の「九曜巴」紋と細川家の「九曜星」紋が似ていたため見間違え、細川宗孝を背後から斬りつけて殺してしまった。これまた迷惑な話だ。

2017.01.03 | ├ 歴史ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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