井上靜氏が三浦朱門の死についてこんなことを書いていた。

 三浦朱門は認知症で介護が大変だったらしい。だから曾野綾子が「老人は適当な時に死ぬ義務がある」と書いて、これは暴言だという批判とともに、あれは自分が夫のために苦労しているという意味ではないかと指摘されていた。

 そうかもしれない。だから、やっと解放されたということで安堵し悦んでいるのではないか。そうでないと、もしも他人に対してあんな心無い言葉を吐いたとしたら、それこそ人非人である。よほど苦労して、つい言ってしまっったと善解しておくべきかしれない。

『沈黙』と三浦朱門の死

これに対してこのようにコメントした。

 認知症の介護は、自分でやるとたいへんだが、プロに任せれば楽である。

 父に認知症状が出たときは、自分で介護をしたが、すべてに不慣れだったこともあり、イライラしっぱなしだった。昨日までできていたことができなくなったときのショックとか、この先どうなるんだろうという不安とか、とにかくたいへんだった。その父親が、肺炎になり、病院のICUに1か月入院して亡くなった。わずか半年間の介護だったが、安堵感はハンパなかった。しかし、不思議と早く死んで欲しいとは思わなかった。

 現在、伯母が認知症で、施設に入っており、父に代ってキーパーソンを引き受けた。ケガや病気で病院に連れて行くのはたいへんだが、そうでないときは大した負担ではない。子どもでもないのに、「母の日」に感謝の手紙を書いて、みんなの前で読み上げるのは、正直、面倒くさいが…。

 金持ちの場合、自宅介護でも、優秀な介護スタッフを雇うことができるので、文字どおり「自分の手を汚さず」に介護することができる。しかし、目の前に要介護老人がいることに変わりないので、そのことへのイライラはなくならないだろう。でも、「老人は適当な時に死ぬ義務がある」と発言するのは、やはり曾野綾子氏の人間性だと思う。

伯母はグループホームに入居していており、ときどきそのことを書いているが、施設では月1回くらいの頻度で行事がある。だいたい土日が多いので、なるべく参加するようにしている。そこに行くと、入居者の家族同士のつき合いが出てくる。

ピック病(前頭側頭型認知症)らしいお婆さんが入居していて、その娘さん(30代後半)はけっこう美人である(お婆さんには似ていないw)。このお婆さんは、施設内を、徘徊ではなく、巡回してしまう(同じコースを歩き続ける)。年始に、伯母がケガをして病院に連れて行ったのだが、そのお婆さんが、風邪をひいて高熱があるのに、巡回しようとして職員に止められていた。ちなみに、見たのは一度だけだが、おそらく何度も繰り返しているのだろう。これじゃ風邪もなかなか治らないだろう。認知症って怖いなと思った。このような場合、家族は、まったく目を離せなくなるので、すぐに疲弊してしまう。

その娘さんが、家族会(終末期医療についての家族の意見を聴くというハードな内容だった)で、「母は、常日頃、“人に迷惑をかけてはならない”と厳しく子どもを躾けていました。その母がこんなになってしまって…」といきなり泣き出したので、ひじょうに驚いた。ピック病は、前頭葉が萎縮するので、自分の欲望を抑えられなくなり、反社会的な行動(万引きなど)が多くなる。以前、納涼会で、うな丼を入居者が家族といっしょに食べることになっていたが、全員の分が届くのが遅れてしまった。そのとき、お婆さんは、ガマンができなくて、ひとりでうな丼を食べ始め、娘さんに止められていた。

また、アルツハイマー型認知症で入居しているお婆さんがいて、三姉妹の娘さん(と言っても、全員、オイラより年上)がいる。上記の納涼会の帰り、長女の方といっしょに駅まで歩いたのだが、この人は足を悪くしていて、それで介護困難となり、お婆さんが入居したのだ思っていた。ところが、長女の話によると、このお婆さん、認知症を発症して、娘たちが介護することになったが、もともとかなり気が強いらしく、どの娘の言うこともまったく聴かず、しょっちゅうケンカになるので、グループホームに入居するようになったそうだ。

このように、それぞれの家庭には、それぞれの理由があり、グループホームに家族を預けているのだが、「死んだ方がよい」なんていう人はいない。まあ、心の中まで見ることはできないが、「老人は適当な時に死ぬ義務がある」と公言するのはやはり異常だと思う。

2017.02.08 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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