井上靜氏がオカシナことを書いていた。

 JASRACの勝手な著作権料取り立て方針が顰蹙を買っていて、これはまるでNHKの受信料取り立ての勝手なやり方と酷似してるが、テレビ特に公共放送なるもの自体がそもそも必要なくなってきてるのになぜか、ということと同じように、プロが作ったものというだけでなく音楽それ自体が人間にとって必要がなくなってきているのになぜか、ということだ。

 これはCDの売上などが低下したからだそうだけど、そもそも音楽自体が斜陽産業であり、AI(人工知能)による作詞・作曲・編曲が可能になって、音楽は誰でも自分で勝手に作って楽しめる時代になってきたから、♪Video kill the raio starーどころではなく、音楽教室から著作権料徴収すると言い出したJASRAC方針に反発というけど、いずれ音楽家も音楽教室も著作権もみな近いうちに消滅する運命なのだ。

 この現実を認めたがらない人たちがいて、例えば苦労して音楽大学を出て音楽教室を開いている知り合いが「機械に頼らずに自分ですることに意味がある」と強弁していたが、まるで後期高齢者の世代が「最近の子供は鉛筆削り器やシャープペンシルを使うからナイフで削れない」と昔は言っていたのと同じで滑稽であったが、さらに進歩してパソコンや携帯電話などで簡便になり、かつてより頻繁に作文するようになってきてむしろ表現力が豊かになった部分もあり、こうしたカメラと同じ傾向は音楽になるとさらに強まるだろう。

     (中略)

 そして、その「現代」も遠い過去となったのである。しかも、人間が音楽を聴いて楽しいと感じることも、どんどんなくなっている。これは音楽だけでなく芸術や芸能について全体的に言えることだが、その問題は別に論じるとして、とにかくプロの音楽家とか著作権とかいうものは、その存在意義が消滅しかかっていて、これは止められないだろう。

 だからJASRACの著作権徴収とこれに対する反発は、虚しい騒ぎなのだ。

JASRACの無駄なあがき

あまりにメチャクチャなので、どこからツッコミを入れようか?というレベルだ。

「音楽それ自体が人間にとって必要がなくなってきている」とあるが、アンタはそうかもしれないけど、オイラはちがうよ!ってレベルの話だ。ちなみに、CDが売れないのは、ネット配信で手に入れるルートができたのと、YouTubeでただで聴けるのでカネを出してまで買おうとしなくなったからだ。だから、音楽業界は、CDでのお金儲けは下火でも、ライブでのお金儲けは盛んで、CDが売れないから音楽が必要でなくなったというのには無理がある。握手券や総選挙投票券と抱き合わせでCDを売る商法も盛んではあるが…。w

「AI(人工知能)による作詞・作曲・編曲が可能になって、音楽は誰でも自分で勝手に作って楽しめる時代になってきたから」「いずれ音楽家も音楽教室も著作権もみな近いうちに消滅する運命」というのもオカシナ話で、そのソフトが著作権のカタマリで、プロの音楽家の関与なしには作れないし、そんなソフトがあっても、ピアノやバイオリンが弾けるようになれるわけではないので、音楽教室はなくならない。だいたいマウスでいちいち入力するよりも、キーボード(鍵盤)から入力した方が早く曲が書けるに決まってるんだから、実際にDTMをしたことのない人の意見だ。

そもそもAIって言葉を理解できないんだから、人を感動させる作詞なんてできっこない。これはAIに詳しい人はみんな知っていることで、AIが模試である程度の点数が取れるのは、たとえば「鎌倉幕府は何年に成立しましたか?」という問題が出ると、ネット検索して「鎌倉幕府」「成立」の近くにある数字「1185」を拾ってくるだけなのだ。だから、なんでAIより点数が低い人間がいるんだ!って話になる。また、このような原理なので、AIに作詞・作曲させると、完全なパクリになってしまう可能性がひじょうに高い。

以前、ねるちゃん(長濱ねる)が言っていたように、

構造主義者ねる

人間の言語には、自我(意識している自分)がかかわる部分と、自動機械(無意識というより前意識の自分)の部分があって、AIが代行できるのは自動機械の部分だけだと思っている。ただし、こっちまで否定しちゃうと、田中希生先生になってしまう。w

史実とは

この希生先生が、とにかくAIが大キライで、AIが発達しても作品をつくることはできない的なことをツイートしていた。しかし、希生先生には悪いが、文学作品の中には自動機械のなすがままにして作られたものがある。石川啄木の『一握の砂』なんかがそうだ。Ayuちゃん(浜崎あゆみ)の作詞も似たような方法で作詞されている。でも、後でちゃんと自我が介入して、編集しているんだけどね。

だから、自動機械が、作詞・作曲の支援を行うことはあっても、作詞・作曲そのものをできるようには、なかなかならないと思う。なぜなら、人間の自動機械の原理を解き明かさないと、人間と同じように言葉とメロディを使えるソフトはつくれないからだ。

2017.02.09 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(4) |

同感です。

「偶然性」とかを取り入れた、いわゆる「ゲンダイオンガク」ですら、コンピューターには作曲できないはず。作曲家の「顔」があるのです。

中山元「フーコー入門」を読破したあとだから余計そう思うのかも。

フーコーは正確にはレヴィ・ストロースやソシュール、メルロー=ポンティとかも批判した、「ポスト構造主義」者のようですが。

2017.02.09 17:40 URL | chitose #BXy/Vbyc [ 編集 ]

メルロ・ポンティは現象学に分類されることが多いようです。ただ記号論も論じているので、構造主義的な側面は否定できないようです。

フーコーも、『言葉と物』のころは構造主義で、『監視と処罰』あたりからポスト構造主義になると言われています。個人的には「生権力」論から「司牧者権力」論あたりが好きなんですが…。

2017.02.09 21:58 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

フッサールやハイデガーの入門書には全然何が何だかの私です。

メルロ・ポンティは読みたいと思いつつ読まないまま。

クリステヴァの本はずっと積ん読の私です。

2017.02.10 01:46 URL | chitose #BXy/Vbyc [ 編集 ]

クリステヴァは難しいです。本来言語化できない部分を扱っているので、言語化されても、術語が難しくて、よくわからない。orz

2017.02.10 11:49 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]












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