「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 浪こさじとは」

【現代語訳】約束しましたよね。涙を流しながら。末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに

『百人一首』42番、清原元輔(908~990 清少納言の父)の短歌だが、869年に起きた貞観地震のとき、津波が陸奥国府(多賀城)近くの「末の松山」を超えなかったという事実に基づいている。


ヤバいサイト

を書いて思ったのだが、東日本大震災の被害は軍曹実家の近くでも起きていたのだった。

東日本大震災が起きたとき

私は当時、中学1年生でした。

卒業式の日で生徒会、学級委員以外の生徒は出席出来なかったのでその日はお休みでした。

友達と河原の土手でテニスの練習をしていたときに地震がおき、今まで経験したことのない揺れとマンションなどの建物が激しく揺れている光景、を未だに忘れることが出来ません。

水・電気・ガスが止まり車で過ごした日もありました。起きたこと全ては書ききれませんが、食糧を買うのにお店に何時間も待たないと買えない生活などいろんなことが起きました。

3.11から5年|守屋 茜

仙台市の浸水範囲概況図を見ると、

浸水範囲概況図13(PDF 1.8MB)

「河原の土手でテニスの練習」って、地震には安全だが、津波にはきわめて危険だと思った。


来週には、東日本大震災から6年目ということで、さまざまな催し物が行われるだろう。しかし、震災の教訓とは、地震が起きたとき、自らの安全・安心をいかに確保するかを考えることなので、そういった契機にすることが大切だと思う。

2017.03.04 | ├ 欅坂46 | トラックバック(0) | コメント(0) |












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