井上靜氏が、読書量がゼロの大学生がいることへの新聞の論調に、批判的な記事を書いた。

読書は必要なことなのか

彼は、立花隆氏の議論から、本をつかって調べ物をする「本に当たる」行為と、趣味の「読書」を区別し、ここで問題になっているのは趣味の「読書」だから、とくに心配することはないとの主張だった。

以下は、その記事に書いたコメントなのだが、問題はそんなに単純ではないと思う。なお、青字はあとから付け加えた部分である。


「読書」するにしても、「本に当たる」にしても、文章の内容を読み取る能力がなければ意味がない。

ところが、学校で行われている「国語」の授業は、すでにその能力を身につけていることを前提に、この文はどういう意味だ、作者は何を言いたいのか、などを論じていて、肝心要の文章の内容を読み取る能力を育成していない。

文章を読み取る能力を育成するのに「読書」の習慣は重要で、「読書」量の多い人間の方がその能力を身につけている者が多い。後述するような、文章を読み取る能力を育成する訓練を受けることなく、この能力を身につけている人たちを知っているが、その多くは「読書」の習慣がある人だ。

このあたりは、HKT48の「青い鳥文庫」派のメンバー(森保まどか、宮脇咲良、田島芽瑠、「卒業」した若田部遥)が、そろって頭が良く、とくに宮脇は文章表現にもすぐれていることからもわかる。

自分は、小学校の高学年になるまで、「読書」することがなく、たまたま母親の知人が本を処分するからと大量の本をくれたことから「読書」の習慣ができた。しかし、役に立つ能力を身につけたのは、予備校の「現代国語(当時)」の授業を受けてからであって、人によっては「読書」してもこの能力が身につかないことはある。

オイラが文章の内容を読み取る能力を育成する訓練をしてくださったのは、以下の2人の先生だ。

堀木博礼先生との出会い
藤田修一先生との出会い

また、木下是雄氏の『理科系の作文技術』は、理系・文系を問わず、そして、文章を書く技術にかんする本だが、文章の内容を読み取る能力にも役立つ本である。

木下是雄『理科系の作文技術』& 清水幾太郎『論文の書き方』
国語教育について

以前、ある掲示板で「○○が××と書いているのは、△△という意図があるからだろう」と書いたら、「そんな意図なんてあるもんか」と反論された。「じゃあ、別にどんな意図があるのか?」と聴いたら、「意図があって書くわけがない」と返事がきた。どうも彼は、人が文章を書く際、なんらかの意図があって書いているということを理解できていないようなのだ。

この人の場合、学校の「国語」の授業をちゃんと受けていなかったのだろう。なぜなら、作者の意図は何か?という質問は学校でも尋ねられるから。

「読書」が減ることよりも、文章を読み取る能力をもった人が減る方がはるかに問題だが、「読書」習慣がなくなると、この手の能力をもたない人が増えるんじゃないかと心配になる。

2017.03.13 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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