以下の文章は、谷泰[著]『カトリックの文化誌 ~神・人間・自然をめぐって』(日本放送出版協会、1997年)の102~105ページにある「ロゴスによるコミュニケーション」という項目である。

この部分は、宗教を、神と人との直接的なコミュニケーションを重視する宗教と、聖職者が介在した儀式を中心とする宗教に分けて説明しており、同じキリスト教でも、プロテスタントは前者、東方正教会やカトリックは後者にあたるとしている。さらにいうと、イスラームも前者であり、プロテスタントはイスラームに近い。

カトリックは、地中海世界に一般的であった犠牲儀式を、包含することで地中海世界に広まったとの指摘があるが、この点は過去に以下の記事で紹介している。

カトリックのミサと犠牲儀式

なお、改ページ部分には◆印を入れた。また、誤植ではないかと思える部分があったので、そのあとに[ママ]を入れた。

同書、101ページ(クリックすると大きくなる)


 さて、こうした比較の表からわかることは、どういうことだろうか。カトリックは、確かにユダヤ教やギリシアーローマの在来宗教にくらべると、オルギー的な要素が犠牲による聖餐、つまりパ◆ンとブドウ酒に象徴された神の子イエスの血と肉の共食という点に痕跡を残すだけで、オルギーによる神とのコミュニケーションは捨ててしまっている。この点、イスラムとプロテスタントはより徹底して在来宗教と切れている。オルギーによる神との合一の瞬間、そこには言葉も不要になるといっておいた。

 カトリックが、言葉を介しないコミュニケーションを捨てたということは、いわばロゴスによるコミュニケーションを重視したことだともいえよう。そこに、より普遍的な宗教としてのイスラムやプロテスタントとの共通性がある。ふるまいの合致、かまどをともにした飲食の共同という肌のふれあいにも似た心のつながりでなく、言葉によるコミュニケーションはそれなりに味気ないが、よりひろい範囲の人間関係を成立させるものである。神と人とのコミュニケーションにおいて、このオルギーによる方法を捨て、言葉を用いる祈りへの傾斜を強めたことは、よりひろい普遍的な宗教となる条件をつくったことを意味すると考えたい。

 にもかかわらず、カトリックはイスラムやプロテスタントとくらべてみると、犠牲によるコミュニケーション形式をなお保持している。こういう点でより在来宗教に近い。たとえ一回かぎりのキリストの犠牲だけにしぼり、他のいっさいの犠牲を拒否したとはいえ、カトリックの在来宗教への近さは否定できない。そして、比較の視角を神と人、聖と俗のコミュニケーションの型にかぎってみたとき、プロテスタントはカトリックよりもむしろイスラムに近いとさえ思えてくるのである。

 祈りによるコミュニケーションを中心においているという点で、プロテスタントとイスラムは同◆類である。プロテスタントは、カトリックにあった祖先神崇拝の変形である聖人崇拝をもとおとして[ママ]、奉献によるコミュニケーション形式をも捨ててしまっている。われわれは、カトリックもプロテスタントも同じキリスト教としてイスラムとくらべるならば、たとえ種の違いはあっても同類だと思いがちである。ところが、このような面からの分析の結果は、意外にプロテスタントとカトリックよりも、プロテスタントとイスラムのほうが近いということである。

 わたしが「キリストの血と犠牲」(二頁以下)で述べたことは、つぎようなことであった。つまりカトリックは、犠牲儀式のパターンをみずからの中心的儀式の形式にとりいれることによって、地中海地域に一般的であった犠牲を行なう宗教のうえにひろく受容される契機をつかんだと同時に、その拘束を受けることになったということである。カトリックは、神とのコミュニケーション方法において犠牲のパターンを中心においたがために、プロテスタンティズムのように神と個人との直接的な、それだけにより自由な交わりをさまたげることになったのである。個人の祈りでなく、教会の司祭を通じての交わりという、仲介者を必要とする形式をとったことから、カトリックはより教義論的になり、司祭の信者に対する権威的立場への道をひらいた。また、もともと神に近づくための心を清める聖化の秘蹟であった告解が、信者に対する一つの心理的操作の可能性をも生んだのである。他方カトリックは、ギリシア正教とともに、普遍的な一神教としての建てまえを持って他の宗教に対した。

 「キリスト・マリア・諸聖人」(三八頁~八五頁参照)の前半で述べたことは、その結果、地域に◆応じて異なる農耕儀礼に含まれる自然神信仰、また血縁原理に基づく祖先霊信仰を捨象することになったということであった。しかし建てまえの背後にあるより生活と密着した人間的な民衆の願いや悩み、そして不安は、自然の恵みや人間的な庇護を求める気持ちを捨てさることはできない。科学的な自然操作の技術や、社会変革による悩みの解消の可能性の少ない農耕生活に根をおろした中世の民衆は、その悩みを聖なる世界の力に期待することによって解決しようとしたのである。地母神信仰に根を持つ聖マリア崇拝、また祖先霊や英雄崇拝に源を持つ聖人崇拝は、このような信者たちの人間的な欲求に支えられて、カトリックの建てまえの裏の側面として姿を変えて再生した。そして、より人間的な悩みにこたえる諸聖人に対するコミュニケーションは、奉献という形式をとっているということを確認したのであった。

 「キリスト・マリア・諸聖人」の後半で述べたことはこのようなことであった。中世末ヨーロッパにおいて都市が成立し、農耕に基礎をおかない、よりゲゼルシャフト的な市民社会が成立するとともに、ミサ聖祭も聖人崇拝もおとして、祈りのみにコミュニケーション形式をかぎったプロテスタンティズムがカトリックに対立してあらわれたことは、きわめて興味あることといわねばなるまい。権力主義への傾斜を持つ司祭を不可欠とする犠牲のパターンを捨て、地縁的、血縁的紐帯のための神を母胎に待った諸聖人への奉献のパターンを捨ててこそ、プロテスタントは市民社会の宗教として機能しうると思うからである。

2017.03.24 | | トラックバック(0) | コメント(0) |












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