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( ^ω^)質問専用だお

2005.10.06 | 足跡帖 | トラックバック(0) | コメント(22) |

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2006.10.10 22:31  | # [ 編集 ]

薬子の変は日本史上最大のトホホな事件だったようです。

平城天皇は、性格に問題のある人でワガママだったようです。勝手に退位して平城京に移ったとき、嵯峨天皇に無断で、公卿の一部、官人多数、太政官内の外記局も平城京に移してしまったのです。このため政治的混乱が生じ、嵯峨天皇は、簡単に政令が発布できるように、蔵人頭を設置したのです(←機密が上皇側に漏れないように設置したと言われていますが…)。そしたら、こんどは上皇から、平城京に遷都しろという命令が来たので、平安京の人たちは大混乱になりました。天皇は、ここにいたって、この混乱を収拾することを決意します。三関をかためさせ、平安京に来ていた藤原仲成を逮捕、薬子の官位を剥奪します。おどろいた上皇は東国への脱出を試みますが、すでに三関は閉鎖されていて、あえなく出家、薬子は自殺、仲成は処刑されます。

上皇も仲成も薬子も反乱なんて起こす気持ちは微塵もなく、あったら、のこのこ平安京には来ないでしょう。単に天皇をなめていて、高圧的な態度で接していたら、反撃されて、あっという間にやられてしまった、という感じですね。天皇も藤原冬嗣も、上皇があまりに勝手なので、政治的混乱が生じ、しょうがないので「やっつけた」だけみたいです。

入試的にはこの程度のことを知っていれば(゚∀゚)イイ!のではないでしょうか。
   ↓   ↓
薬子の変【くすこのへん】
  810(弘仁1)に起きた天皇位をめぐる政変。前年に弟の嵯峨天皇に譲位し、尚侍藤原薬子、その兄右兵衛督藤原仲成とともに平城旧京に移った平城上皇が、重祚をはかった事件。嵯峨側との武力衝突直前にまで至ったが、平城側の兵士逃亡があり、平城自身も東国への逃走を試みたが果せず、薬子は自殺し、仲成は射殺され、平城は剃髪出家して変は終息した。この間に生じた〈二所朝廷〉の状況に対し、嵯峨側は蔵人頭を創出するなどの対策をとったが、人心の騒動、諸官司の分裂など深刻な問題を引起し、その後の君主権力のあり方に影響を与えた。(岩波日本史辞典)

2006.10.10 23:55 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

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2006.10.11 21:59  | # [ 編集 ]

病気っていうのは事実なんだけど、今でいう「うつ病」だったみたい。だから、ワガママだったのも、病気のせいかもしれない。

当時、律令制が崩壊してきて、改革するか、維持するかでもめてたらしい。平城天皇は、律令制の維持に、「非常に」っていうか、「異常に」熱心だったんだって。それで病気(うつ病)になってしまったらしい。

ちなみに、律令制を維持するか、改革するかは、この時代の最大の争点だったようです。菅原道真が失脚した事件でも、ライバルの藤原時平は維持派で、道真は改革派だった。まあ、改革派といっても、「ぜんぶ国司にお任せします」っていう「丸投げ」方式なんだけどね。醍醐天皇が熱心な維持派だったんで、道真は失脚、大宰府に流されてしまったのです。

ちなみに、時平の弟・忠平は、道真と同じく改革派だったので、道真に同情的で、のちに北野天満宮を建て道真を祭ったりしている。しかし、これにはウラがあり、忠平は、道真の祟りを利用して、兄の子孫を権力の座から排除したのです。

この結果、中央貴族(藤原氏)は地方政治に関心を失い、丸投げされた国司たちが勝手に支配するという超・地方分権になってしまったのです。

2006.10.12 00:29 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

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2006.10.13 04:37  | # [ 編集 ]

Wikipediaの「王朝国家」の項目によい説明がありますよ。
   ↓   ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E5%9B%BD%E5%AE%B6

王朝国家は、律令国家から中世国家への移行期を説明するための概念で、坂本賞三さんが唱えた概念です。


ぜんぜん関係ないけど、『詳説日本史』の著者の一人、吉田伸之さん(近世史)は、千葉大学の教育学部にいたとき、オイラの友だちの指導教官だったよ。

2006.10.13 20:00 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

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2006.10.14 00:18  | # [ 編集 ]

どうぞ、いつでも。w

2006.10.14 10:38 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

早すぎた院政...
それはさて置き。孝徳帝の方が悲惨だね。

日本人は、「おらがムラ」地方分権の方が好きなんだな~ぉ。

歴史は人間ドラマとして観ないと本質が解らないのね。
偏ったフィルター無しでないと全く違うものなるけれど

『動物奇想天外』だっけ!?
ある日は狩られる立場の草食動物の視線で
「喰われなくて良かったね」とゲストは言い
次の週には狩る立場の肉食獣の目線で
「獲物が獲れて飢え死にしなくて良かったね」

横レス失礼しました。

2006.10.14 10:45 URL | ねまきねこ #3/2tU3w2 [ 編集 ]

たしかに悲惨ですな。
いろんな意味で…。

2006.10.14 10:57 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

先生っ!∑('□'∩ お時間大丈夫でしょうか?もちろん今すぐに答えてくれというわけではありませんが(^■^A;)

暗記ブックの補足情報や模試などで、江戸時代のところで、たまに「零細農民」という言葉を目にします。用語集で調べようと思ってみたんですが、読み方が間違っているのか、索引から見つけることができません(ノω=;)
「零細農民」とは何と読むのでしょうか?また、どんな身分の農民だったんでしょうか?

よろしくお願いしますっm(._.)m

2006.11.13 22:50 URL | hacra #- [ 編集 ]

「れいさいのうみん」と読みます。

ふつうは、再生産(家族を養って次の世代をつくること)できないくらいの土地、あるいは再生産ぎりぎりの土地しか持っていない「貧農」を指します。

江戸時代の農民はつぎのとおり。初期・前期は、奴隷的要素の強い「下人」・「名子」・「被官」を「初期本百姓」が支配していた。その後、しだいに隷属農は自立して、「本百姓」となっていった。しかし、中期以降、「本百姓」は、富農である「高持百姓」と、貧農の「水呑」・「無高」に分解して行った。これを「農民層分解」といいます。

【初期・前期】
初期本百姓【しょきほんびゃくしょう】
  近世初期・前期における本百姓の中核的部分を指す学術用語。被官や譜代下人などの隷属民を抱え、彼らと家族労働力を駆使して農業経営を行うとともに、保有地の一部を作子(つくりご)などの小規模農民に貸与する地主経営をも営んだ。彼らは年貢に加えて夫役負担者でもあったから、役家(やくや)などともよばれた。17世紀後半以降、分家や作子の自立、下人の年季奉公人への転化といった動向のなかで、しだいに一般の高持(たかもち)百姓へと変化していった。

本百姓【ほんびゃくしょう】
  江戸時代、百姓身分の中核をなす百姓。田畑・家屋敷を持ち、入会山や用水利用の権利を保持し、村政に参画する。近世幕藩体制社会の基本的階層として領主側もその維持に努めたが、中期以降、商品経済の浸透のなかでしだいに大高持と無高・水呑層に分化していった。

下人【げにん】
  [1]家内部の世襲的従者身分。特定の主人により給養され、譜代相伝の形で譲与処分の対象とされた。中世前期には自らの家を持つ外居の下人も含んだ呼称であったが、後期にはその最下層部分の呼称として定着した。
  [2]近世初頭には家内奴隷的な隷属性の強い譜代下人が残存したが、江戸時代には奉公人一般の称呼となり、しだいに年季奉公人が下人の主流になっていく。下人のほか、下男・下女などともよばれた。年季奉公人には、契約期間から長年季と一季居おり(一年限)があり、雇用主体の別から武家奉公人・農村奉公人・商家奉公人などに区分することができる。

名子・被官【なご・ひかん】
  中~近世の隷属農民の呼称。有力者のもとで家内労働や耕作にあたり、時に売買の対象ともなった。名子・被官の別は、家内部の主従関係に基づくか、官司の所管被管関係に基づくかの違いによるもので、名子・被官と併称され、実質的にはほとんど異ならない。

【中期~】
高持百姓【たかもちびゃくしょう】
  江戸時代、耕地と家屋敷を持つ百姓。無高(むだか)・水呑みずのみに対して高持とのみ略して使われる。幕藩体制社会の基本的な階層であり、村の運営においても中心的役割を担った。中後期、商品経済の浸透によって、大高持と無高・水呑に分化していった。

水呑【みずのみ】
  江戸時代の貧農の呼称。水を呑んで暮すほどの貧乏との形容に基づくといわれる。石高を全く所持しない無高百姓と並べて、無高・水呑と記されることが多い。中後期、田畑を手放して本百姓から没落し、小作や日雇い奉公によって生計をたてる水呑百姓が激増した。

無高【むだか】
  江戸時代、名請け地を所持しない貧農に対する呼称。中後期、商品経済の進展や災害にともない激増した。小作や日雇い奉公で生計をたてた。類似の用語である水呑と並べて、無高・水呑と表記されることが多い。

2006.11.14 00:24 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

読み方、「れいさい」だったんですね。「れいさい」と「ぜろさい」で引いてみたんですが、どっちも載ってなくて…(=∪=;) でも「れいさい」でなかったということは、元から載ってなかったんですね。貧農のことをいうからなんでしょうかね(?∀?)
模試の問題文なんかで、「零細農民は~」とか出てきて「誰!?∑(゚■゚;)」って思ってたんです。おかげで助かりました☆(^u^ゞ
農民も色々と上下の変動があって、各身分に分かれていったんですね。やっぱり用語だけ知ってるんじゃダメだ…φ(..;)

またもたくさんの補足情報つきで教えて頂き、ありがとうございましたっ!<(_ _)>

2006.11.14 20:25 URL | hacra #- [ 編集 ]

いえいえ、どーいたしまして。w

2006.11.14 21:32 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

古代の憲法=律令には何が書いてあったのかな?

現代語で簡易に読めるモノってないかな?

2006.11.21 15:07 URL | ねまきねこ #3/2tU3w2 [ 編集 ]

故・井上光貞さんの『律令』(岩波書店 1994年)には現存する「養老律令」が収録されている。
   ↓   ↓
http://www.amazon.co.jp/gp/product/400003751X/sr=8-23/qid=1164093361/ref=sr_1_23/250-6918798-9389803?ie=UTF8&s=books

ただし7000円弱するから、図書館で探したほうが(゚∀゚)イイ!かも。w

ちなみに、井上光貞さんは明治の元勲・井上馨の孫だお。

2006.11.21 16:23 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

結構なお値段。

図書館にて探して見ます。
著者は、もんたsanのお孫sanなのですか。

2006.11.21 18:16 URL | ねまきねこ #3/2tU3w2 [ 編集 ]

ですね。

歴史研究者には一蔵どんの孫もいたりする。w

2006.11.21 21:46 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

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2007.01.22 19:57  | # [ 編集 ]

ちょっとだけど役に立ってよかったです。
2次試験もがんばってね。

2007.01.23 00:08 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

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2007.03.03 23:50  | # [ 編集 ]

 よ

 か

  っ

 た

http://www.kitanet.ne.jp/~tosh-ish/pict/ayu_ne.gif

2007.03.04 12:01 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]












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