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  これまでの経験から、私はこれらの疑問に答えることができます。いくつかの症状を示す症例から始める場合、分析によって、各々の症状から一連の体験へと達するのですが、これらの体験の記憶は、連想の中で相互につながり合っています。個々の記憶の連鎖は、最初はそれぞれ明瞭に分雛して、後方に向かって連なっていますが、すでに述べたように、それらは枝分れしています。一つの場面から発して、同時に二つないしそれ以上の記憶に到達しますが、それらの記憶からさらに側鎖が出て、その個々の環が再び主鎖の環と連想によって結びついているかもしれません。この場合、家族成員がお互いに結婚し合っている家族の系統樹と比較したら当っていなくもないでしょう。個々の場面が同一の連鎖の中で何度も想起されうるために、後の場面と何重もの関係を持つに至り、直接的な結合を示したり、中間項を介した結合を示したりすることから、この連鎖のもつ別種の複雑さが生してきます。要するに、この関連性は決して単純なものではなく、またいろんな場面の発見は年代を逆にした順序で起こるので(これはまさに多層性の廃墟の発掘と類似していますが)、事態の成行きをもっと早く理解するためには、何の役にも立たないのです。

  分析をさらに続けていくと、新たな混乱が生してきます。すなわち、個々の症状についての連想の連鎖が、相互に関係を持ち始め、系統樹がからみ合い、もつれ合ってしまいます。たとえば嘔吐に対する記憶の連鎖をたどる体験をしてみると、この連想をさかのぼる環のほかに、他の症状、たとえば頭痛の原因となっている他の連鎖から記憶が呼びさまされているのが分ります。したがって、その体験は二つの系列に属し、すべての分析の中でいくつか発見されるような結節点を示しています。これに対応する臨床的事象としては、二つの症状が、本来内的な相互の依存関係はもたぬままに、ある時期から共生的に、一緒になって出現する事実があげられるでしょう。もっと過去にさかのぼった地点では、別種の結節点が見出されます。そこでは個々の連想の連鎖が収斂して、二個ないし数個の症状の起点をなすいくつかの体験が見出されます。場面の一つの細目には一つの連鎖が結びつき、他の細目には第二の連鎖が結びついています。

「ヒステリーの病因」(『フロイト著作集 10』人文書院、1983年)

2006.10.09 | Ayu(浜崎あゆみ) | トラックバック(0) | コメント(0) |












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