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西浦和也さんの実話怪談。



「獄の墓」がJR板橋駅近くにあると、ネットでは書かれているようだが、埼玉にあるらしい。

2017.05.16 | ├ 実話怪談 | トラックバック(0) | コメント(87) |

獄の墓は確かに埼玉県某所に有りました

西浦和也さんのTwitterを遡ると
ヒントが隠されております。

私は、サワリの森について調べた後の次に、獄の墓を調べ、場所にたどりつきましたが、
障りを生じました。

今は完治しましたが、正直、お勧めできません

2017.07.17 16:35 URL | 獄の墓を探して障った野郎 #- [ 編集 ]

ご忠告ありがとうございます。

2017.07.17 23:23 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

北与野

2017.08.05 06:28 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

…というより、さいたま新都心。

2017.08.05 10:35 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

あの下を北与野に向けて暗渠が通ってて、その先
手付かずの土地っつったらあそこしかないじゃん

2017.08.05 14:42 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

>手付かずの土地

獄の墓には、フツーに家が建ってると西浦さんが言ってるから、手付かずの土地ではないでしょ。

むかしの中山道は県道164号で、コクーンシティが下原刑場跡。暗渠になっているのは、高沼遊歩道、JR用地、さいたま新都心合同庁舎1号館と2号館の間の道路、小学校の校庭の下まで。国土地理院地図だと、水色の破線になるから、確認してみましょう。

2017.08.05 16:40 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

あれ?ビルも建ってないって言ってなかったっけ
俺の勘違いか

2017.08.05 19:39 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

そんでこれに引っ張られたかな
https://twitter.com/nishiurawa1999/status/696540067989303296

2017.08.05 19:56 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

西浦さんはそのように書いているけれど、

中山道分間延絵図(10巻之内1)および1920年の地形図などによると、北与野駅がある場所は、上落合村の神明社の鎮守の森なので、刑死した罪人の遺体を捨てた場所とは考えにくい。

ウィキペディアの「コクーンシティ」の項目に《江戸時代、一帯は野原で、下原刑場と呼ばれる処刑場であり罪人を高沼用水の河原で斬っていた》との記述がある。処刑した罪人の遺体は、江戸時代は、その場に打ち捨てたり、埋めたりするので、わざわざ500mも離れた北与野駅まで運ぶとは考えにくい。

調べると、「獄の墓」の話はどんどん怪しくなってくる。

ちなみに、ウィキペディアの「下原刑場」の項目は以下のとおり。
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江戸時代、中山道大宮宿の南方に、罪人の処刑場として下原刑場を設置した。現在の吉敷町にあたり、現在のさいたま新都心駅の東側一帯に相当する。当時一面原野であった。下原刑場は、主に武蔵国の罪人の処刑が行われ、長谷川宣以(鬼平犯科帳の長谷川平蔵)に捕らわれた盗賊団の頭目・真刀徳次郎の一族郎党の処刑(1789年[寛政元年]4月)も記録されている。大宮宿には罪人の親族が罪人と最後の別れを許された橋「涙(泪)橋」があり、説明板が設置されている。同様の橋は千住の小塚原刑場、品川の鈴ヶ森刑場近辺にもある。

1868年[明治元年]の明治天皇の氷川神社行幸の際に、地元から刑場廃止の嘆願書が出され、廃止に至った。跡地は片倉工業の製糸所として利用された。

1992年[平成8年]に工場が廃止されると隣接する大宮操車場跡地の開発であるさいたま新都心計画の一環として再開発が進んだ。工場跡地周辺はコクーンシティなどの商業施設が整備され、往時の面影を残すものは刑場の供養塔である「火の玉不動」のみとなっている。
-----

2017.08.05 22:57 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

やっぱ埼京線って話自体がフェイクなのかな

2017.08.06 22:49 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

これとかも
https://twitter.com/nishiurawa1999/status/589020181084573697

2017.08.06 22:50 URL | #KC6r7fPU [ 編集 ]

《各宿場町の(江戸寄りの街道筋)には、刑場や札所があります。そうやって探すと、色々見つかりますよ。ちなみに五街道でその例外になっているのが、品川宿隣接の鈴ヶ森刑場で、ここだけは江戸寄りではないんですよね。》←確かに、下原刑場も大宮宿の江戸側にあります。板橋刑場も板橋宿の、小塚原刑場も千住宿の(隅田川を渡った)江戸側で、鈴ヶ森だけ品川宿の京都側です。

「ブラタモリ」で大宮をやったとき、なぜか下原刑場(火の玉不動)と涙橋がスルーされてました。

2017.08.07 01:39 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

フツーに家が建ってるとは言ってないよ
何も建ってないと言ってる

2017.08.08 00:33 URL | s #KC6r7fPU [ 編集 ]

《「死地」ではない》と言っている。

「死地」は、本来の意味では、1)死に場所、2)生きて帰れないかもしれない非常に危険な場所、3)せっぱ詰まった立場や状態という意味だが、西浦さんは、ふつうに家が建てられないので、学校などの公共施設が建っていたり、空き地になっている場所の意味で使っている。もともと警備会社に勤めていたので、業界用語なのかもしれないけど…。

そうではないと言っているんだから、公共施設などではない、何かが建っていると思われる。「獄の墓」が怖いのは、その土地のいわれも事情も知らずに、住んだり、仕事場として使っているかもしれないってことなんじゃないのかな。

しかし、べつのところでは、駅前なのに、空き地のままとも言っている。

2017.08.08 09:18 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

学校などが建ってない
ビル一つ建ってない
自分が貼った動画でそう言っている

2017.08.08 14:54 URL | s #KC6r7fPU [ 編集 ]

三菱マテリアル工場跡なら、今も何にも建ってないけどね。
ただし、ここは、さいたま新都心駅前だけど、下原刑場跡地ではない(刑場跡地の隣)。

2017.08.08 16:56 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

そもそも刑場と獄の墓は別でしょう
なんかフワフワしてきましたね
大丈夫ですけ

2017.08.09 01:30 URL | s #KC6r7fPU [ 編集 ]

関係なくはないでしょう。
亡くなったツキヨノさんは、出身小学校が処刑場跡で、
そのことを調べ、江戸時代の古地図を見て、
「獄の墓」を見つけたわけですから。

2017.08.09 17:19 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

獄の墓をネットで調べようとしただけで前頭部痛と目が霞んでくる。こういうのを調べるのはワクワクするけど、これは本気でマズイ場所かもなぁ…。

2017.10.19 11:07 URL | #- [ 編集 ]

障るものは触るなってことですかね。

2017.10.19 11:30 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

下原刑場跡はwikiにはコクーンシティ辺りと書いて有りますが、新都心駅西側辺りじゃないかと思っております。この辺りは、大宮宿の飛び地になっておりました。この辺りの村絵図を探しておりますが、なかなか見つかりません。大宮宿の飛び地南側に木崎村が有りまして、この辺りに(鴻沼用水南側)は下原と言う地名でした。(木崎村全図から)

西浦和さんの「獄の墓」を探している中で、1991年頃、浦和市役所から出てきた、「浦和宿絵図」の中に「捨場」が有り、今も法務省の管理されている場所が有ります。(西浦和さんの獄の墓とは違います)

2017.10.20 17:16 URL | 獄の墓を探して障った野郎 #- [ 編集 ]

下原刑場について書かれているかもしれない本が図書館にあるようなので、見てみます。

ちょっと怖いですが…。

2017.10.20 21:25 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

埼玉県[編]『武蔵國郡村誌』(1954年)の第二巻「足立郡」巻之十一「大宮宿」によると、大宮宿の字地は16あった。うち、「浅間」「下原」「鳥居先」をあげると

浅間 来段寺の南に連る 東西353間 南北464間
下原 浅間の南に連る 東西325間 南北213間
鳥居先 下原の北に連る 東西311間 南北350間

となる。

「浅間」は浅間町あたり、「鳥居先」は吉敷1~2丁目(あるいは同3丁目も含まれるか)あたりと推定できる。すると、「下原」はコクーンシティのある吉敷4丁目(あるいは同3丁目も含まれるか)あたりと推定するのが自然ではないか。

なお、三菱マテリアルの工場敷地跡は北袋村(北袋町)であり、同村の「疆域」には、「上落合村と少■[しょう]隣る」とあるので、さいたま新都心合同庁舎2号館とホテルブリランテ武蔵野がある区域も同村だった可能性が高い。

上木崎村(上木崎)の飛地は、同書には記述がないので、ラフレさいたまと郵便局がある区域で同村とつながっていたのではないかと思える。

2017.10.22 14:07 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

大宮宿飛び地ですが、『大宮市史 3 下 近世地誌編』(大宮市 1973) 大宮宿 p6 「大宮宿字地図」 地図上に下原あり。 p10 下原 「「鳥居先」の南にあった飛地で、高沼用水縁りから中山道の両側に広がる地域である。」とあります。

また、「北袋村字地図」のページで、簡単ですが大宮宿飛地の位置が表記されております。木崎村全図と見比べて見ますと、下原の位置が、ほぼ同じでした。

著作物掲載の許可を取っておりませんので、地図等を貼り付けられませんが、ご参考に

2017.10.23 21:10 URL | 獄の墓を探して障った野郎 #- [ 編集 ]

『大宮市史 第3巻下 近世地誌編』は都立中央図書館にはあるみたいです。見てみようかな。

2017.10.23 22:33 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

私は数年前に、西浦和也さんから直接に場所を教えてもらいました。
実際に足を運んで、行きました。
その後、体調を崩し死にかけました。( TДT)
現在は何とか回復しましたが...ホンマに遊びで行っては行けない場所ってあるんやなぁ…と痛感させられました。

2018.01.22 15:46 URL | カズ #emoc/ytA [ 編集 ]

やはり危険なんですね。

上で図書館で調べると書きましたが、中断してます。

2018.01.22 16:39 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

十条は? 論外ですよね。

2018.06.04 13:19 URL | 階段師 #- [ 編集 ]

>十条は? 論外ですよね。

獄の墓が十条にあるって意味ですか?

それなら、ないと思います。

2018.06.04 14:30 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

で、結局 獄の墓の場所はどこなんですか?

2018.08.28 16:40 URL | カマグラ #- [ 編集 ]

「獄の墓」探しはやめております。

障りが家族に及ぶと怖いんでね。

2018.08.29 01:56 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

「獄の墓」探しはやめてしまったんですね。

やめてしまう前まではある程度の場所までは解ったのですか?

2018.08.29 09:01 URL | カマグラ #- [ 編集 ]

『大宮市史 第3巻下 近世地誌編』にヒントがあるってところまでです。

大きな図書館で調べれば、何かわかるかもしれませんが、おススメできません。

2018.08.29 09:56 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

なるほど。
色々教えて頂きありがとうございます。

2018.08.29 11:36 URL | カマグラ #- [ 編集 ]

いえいえ、こちらこそ。

2018.08.29 13:06 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

私もコクーンの南西辺りまで掌握しましたが、西浦和さんに絶対行くな!と云われました。本当にヤバい場所なのかも知れません。

2019.07.05 23:38 URL | #- [ 編集 ]

いろいろありそうなので、私もぜんぜん調べてません。orz

2019.07.06 00:07 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

ひいじいさんのはなしがホントなら、暗渠のわきのコンビニ?のビルの前だよ
芝生みたいになってて、やっぱりかどうかは知らないが、妙に空いた土地になってるね
秋ヶ瀬が心霊スポットになって、ここがなにも言われないのが不思議だがw

2019.07.27 20:59 URL | #gSjZwAso [ 編集 ]

火の玉不動尊 お女郎地蔵のあたりですね。

2019.07.27 21:40 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

正確に言うと、火の玉不動尊を過ぎて暗渠を渡ったコクーンの前の芝生がズバリ
歩道橋の手前のとこだね。確かに不自然に空いてる。
大宮宿に入る前の場所で、見せしめだよね

2019.07.27 23:30 URL | #- [ 編集 ]

「獄の墓」を聞いいたが、少なくとも下原刑場ではないですね。
「獄の墓」自体怪しい点が多々あります。
この手の歴史的事項は、市井の研究家を含めてたくさんいます。
この手の怪談話は別の意味でやめた方がいいですよ。
小塚原刑場に幽霊が出たためしがありません。

2019.07.28 22:09 URL | #z1rC2o6s [ 編集 ]

コクーン1の前の芝生が下原刑場跡ってことですよね。それには2つほど問題があります。

 1.下原刑場は高台橋近くにあったという記述があり、「高沼遊歩道」に近い「火の玉不動尊 お女郎地蔵」がそれにあたる。

 2.コクーン1の設計にあたり、県道56号と県道164号が直交しておらず、164号の反対側の道路が56号と直交しているので、そちら側から設計したため、そこが空き地となった。

これは、コクーン1の164号側の壁の延長線上にコクーン3の壁があり、設計上の理由だった可能性を補足している。


「獄の墓」については疑問点はたしかにあります。

刑場で処刑された場合、遺体はそのまま放置されるので、墓をつくることはない。埋葬する場合、関係者が引き取ってそれぞれの墓に埋葬するはず。

「獄の墓」って名称は、獄死した罪人で遺体の引き取り手がいない人の墓って印象が強い。

2019.07.29 02:02 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

心霊をまったく否定はしなが、こりゃ無理があるなぁw

2019.07.29 03:35 URL | #- [ 編集 ]

怪談は怪談として楽しめば良いのでは。

2019.07.30 02:23 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

西浦和さんの語りの中で、つきよのさんの言葉として「首は刑場でさらすのに使うけど、他の胴体などのいらない部分は川沿いや川っぺりに捨てる(簡単な感じで埋める)。獄の墓っていうのはそういうのじゃないかな。」
とあるので、やはり新都心駅近くの芝川沿いの緑地のどれかなんじゃないですかね。

話の中の地蔵=お女郎地蔵、川=芝川。
川のそばなので、おそらく。

忌地は公園や学校にする事が往々にしてありますが、緑地付近を見てみると確かに学校やグラウンドや公園になっていますしね。

2019.10.13 10:47 URL | #- [ 編集 ]

八丁橋より北の芝川は、江戸時代中期まで「見沼」という沼の底だったので、その可能性は低いと思います。

2019.10.13 11:42 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

江戸時代に記された絵図や古文書を数多く、研究しておりますが、そこに記された文字(もんじ)は独特のくずし字で、そんなに簡単に読めるものではないと思います。たとえば、絵図内に記された文字が「但し入会」と書かれていたとしても、経験なない方がご覧になられると「獄の墓」「極の墓」「御くの墓」などと読めないこともありません。さいたま市の古地図ということで、県立文書図書館にあると考えておられる人もおいでのようですが、図書館にあるとは限りません。せいぜい、その程度のことだと思います。あのあたりは、落合村や中里村の入会の田耕地がおおく、そういう意味では、その辺から勉強した上で、古地図に向かい合わないと、ダメだと思います。

2019.12.29 17:55 URL | #- [ 編集 ]

いつも古地図に向かう時には、何冊かのくずし字辞典を傍らにおいて、向かい合いますが、筆の濃淡によりどこから書き始めているのか、どこで筆を止めているんか、どの部位とどの部位とが筆の流れとしてつながっているのか、などなどを見極めた上で、辞典を繰って、調べるほどですので、もし、獄の墓と書かれていたのであれば、獣へんなのか、にんべんなのか、ごんべんなのか、それともという感じだと思います。それに江戸時代の刑罰関連の書籍や小塚原についての書籍を見れば、一箇所にまとめて罪人の死体を埋めることなどは、まず考えられないと、私見ではございますが、そう思います。

2019.12.29 18:08 URL | #- [ 編集 ]

堺の江戸時代18世紀ごろに作成された絵図(未展示)には、北と南に獄門場の記述があり、その行刑を担っていた方々の当時の住居地も記されております。こういったものを見て、見方を養っていかないと、なんかが書かれているなあぐらいしかわからないということです。くずし字については、静岡県立中央図書館さんのサイトの講座が、とても良いと思います。是非、ご一覧下さいませ。

2019.12.29 18:29 URL | #- [ 編集 ]

絵地図をみて、その場所を特定するのに、その時代から現在に至るまでその地域にそのままあるような寺院などの施設を基準として考えることがありますが、そういう意味では、中央区にある東光寺さんや下落合氷川神社さん(武蔵野国一宮のものではなく)の絵図上の立地や、高沼用水路や鴻沼川といったものの立地を基準において、考えると思います。
まずは、ランドマークとなるものを押さえるということです。

2019.12.29 18:58 URL | #- [ 編集 ]

長文のコメントありがとうございます。

私も学部の1年生の頃は、近世古文書を読む勉強会に出て、柏書房の『近世古文書【解読字典】』を片手に古文書を読んでいたので、くずし字の読みにくさはわかっております。

ただ、実話怪談を楽しんでいる人たちで、そこまでして絵地図を読もうという人はいないと思います。

2019.12.29 20:13 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

私は、もうすでに、江戸時代の下落合村、中里村、上落合村に関わる古地図を2種類拝見し、地図情報を入手してますが、上のような心証を持っているということです。単なる長文ではないということです。

2019.12.29 20:38 URL | #- [ 編集 ]

過去の投稿にあります「大宮市史」に掲載の「大宮宿字地図」は、元の地図資料を掲載しているのではなく、新編武蔵風土記稿や新編武蔵国郡村誌などの記述をもとに、市史の執筆者様が作成したもので、地図中に「下原」の記述はありますが、このサイトの中心的な事柄とは、全く関係がありません。この地域の絵図をみると上落合と下落合の村境の道を境に絵図を分けているものが多いですが、ある絵図の端にあるのが江戸時代の高谷橋で、今の位置とは異なり、絵図中には升屋橋との記述があります。下原刑場とこのサイトの中心的な事柄とは、わけて考えないといけません。分けて考えるのは、そもそもおかしいですが。地元の方であれば、高谷橋が、江戸時代にどちらにあったかまた、現在のどこかは、ご存知だと思います。

2020.01.04 11:21 URL | #- [ 編集 ]

どのコメントが誰のだかわからないので、Nameを入れてください。

2020.01.04 14:47 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

大学で文化史かなにかでくずし字に接しておられた方なら、どのようにして絵図を探し、どのように文字を解読していくかは、よくご存知だと思いますが、私は、お話はお話として、実際にこの目で見たものしか信用しないので、あなた様も実際に絵図をご覧になられて、そこに書かれている文字をご覧になられれば、そこに記された文字がなんと記されているのかを読み取られることでしょう。私には、「但し入會」「給之入會」としか読めませんが。見方によっては、これらの文字のくずし字をお考えになられれば、いろんな風によめるのかなと思います。人それぞれですが。

2020.01.08 14:58 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

返事が遅れました。

>但し入會
>給之入會

を「獄の墓」と読み間違ったってことですよね。

実物を見てないので、なんとも言えませんが、ありうる話だと思います。

私の持っている「くずし字字典」だと、読み間違いそうもないのですが、過剰に達筆な人や悪筆の人が書いた場合は、「くずし字字典」がほとんど役に立たないレベルなので、間違えるかもしれません。

2020.01.10 11:06 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

たとえば、「田」という文字が、ある地域に記されていて、その近くに「但し入會」と記されている場合、田の文字は、墓場の印とも思える程度に文字に見えますし、その地域の土地支配の勉強をされていない人がみると、このサイトの主題となる文字に見えることもあるかもしれません。したがって、そのことを明確にするために、2種類の絵図というにが、結構、重要となるわけです。したがって、上に記した内容というのは、すべて、見方によれば、意味が深いということです。一方には、記されていないことでも、他方の同一場所の記述をみることで、なるほどと思えることもあるやもしれません。相互補完的に見ることが出来るということです。私の見解は、単なる見解に過ぎませんが。見解は見解やけども、その地域の遺構などの有無や開発段階の資料とが組み合わせることで、徐々に真実につながるのではないでしょうか。
横井也有さんが「化物の正体見たり枯れ尾花」と言ってます。

2020.01.10 15:57 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

しばらくは絵図を見ることは無理そうですが、見る機会があったときは肝に銘じたいと思います。

2020.01.10 16:12 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

なにか、絵図をご覧になれない理由があるのでしょうか?絵図をどうしてもみたいという強い気持ちと悪用しないという気持ち、少々、手続きを踏めば、どなた様に限らず、閲覧することができる資料だと思いますが。詳しいことは、取り決めもあって申せませんが。私も、可能であれば、もう一枚のものを閲覧して、自分の考えを確定したいと思っているところです。これは、すこし難しいと思いますが。あくまで私見にすぎませんが。

2020.01.10 17:13 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

親族間のゴタゴタでメンドクサイことになっているので、それが済むまでできそうもありません。

2020.01.10 17:50 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

ご参考にしていただいたら幸いですが、両方の図の中で記された地点のこれまでの開発記録、当時の川側から撮影した写真や工事中の写真、また行政からの回答によると、「ここは遺跡ではないため、出土物や遺構はない田」であったという回答。これは図の中の「但し入會」や「給之入會」という文言と完全に一致するものです。こんなことを確認して確認することで、真実が見えてくると考えております。行政は、何らかのことに配慮して言わないことはあっても、嘘をつくことはないと考えております。あくまで私見ですが。

2020.01.11 15:19 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

わざわざありがとうございます。

2020.01.11 17:38 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

障りといういみでは、昨年の10月にこのお話を初めて知り、国立国会図書館のカンファレンスで大宮市史に鍵があるのではと思い、最寄りの公立図書館より、該当図書の借入を制度に基づき行いましたが、貸付先の図書館から断られたとの回答があって、年末に東京出張する機会に、実際に図書館にお伺いしたのですが、図書館は、あいにく閉館しており、文書館は工事中につき閉館してました。帰宅後、1週間ぐらい経って、右胸と肩甲骨あたりに鈍い痛みが継続するようになって、クリニックを受診すると心筋梗塞ということで、即入院、即カテーテルによる手術を受けてましたが、心電図を見る限り、ほとんど後遺症も確認できないほどです。今のところ、血圧も悪玉コレステロールの値も完全にアンダーコントロールされており、これを障りとみるか、偶然とみるかは、人によって異なるとおもいますが、お陰様ですべて当初、ほしいと思っていたすべて資料が、現地に赴くなく入手でき、感謝している限りです。
これは、障りなんでしょうかね。確かに、手術後3日間、ICUで6本程度の管につながれ、カテーテルを挿入したほうの足は曲げることは許されない状況でしたが。偶然といえば偶然ですが、絵図中の崩し字の見解について3者の方から回答をいただき確証を持ったのが、昨年、救急車で搬送された日であるということに間違いはありませんが。その後、現地に行かなくても市史に記された当初、知りたかった内容も入手できましたし。

2020.01.13 11:54 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

それはたいへんでしたね。

>「獄の墓」探しはやめております。

>障りが家族に及ぶと怖いんでね。

と2018年8月29日に書いたのですが、当時、認知症の伯母が生きており、障りって弱い方に出るので、そのかなり前からやめていました。伯母はその年の12月に亡くなりましたが、90歳という年齢で死因も老衰だったので、障りではないと思います。

この伯母の遺産をめぐって親族間のトラブルになっているのです。じつは、生きているときから、介護方針をめぐってトラブルになっていましたが…。

あと、母親も80代後半に入り、妹も体調面で問題をかかえているので、やめております。

2020.01.13 14:22 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

そういった深いご事情があったのですね。
それは、何かと失礼いたしました。すべてが、すっきり解決できれば、いいですね。お母様、妹さんのご体調も。
私は、実のところ、この件については、先にも申し述べましたように、障りはないと思っておりましたが、くずし字については、念には念ということで、地元の行政の歴史編纂室の方や、近隣の同様のセクションの方などに、お尋ねしていたのですが、偶然に回答を頂戴できたのが、同一日付で、偶々、救急搬送された日付だったということで、ちょっと気にはなっていたところなんです。本音は、障りなどは、この件については、ありえないと思っているのですが。

2020.01.13 15:31 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

>本音は、障りなどは、この件については、
>ありえないと思っているのですが。

説明をうかがうと、たぶんそうなんでしょうね。
ただ、念のためやめておきますが…。

それと矛盾しますが、削除されていた動画を聴けるようにしました。w

2020.01.13 16:33 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

王子きつねさんは、地元の方でしょうか?
もし、地元の方であれば、中央区(下落合ではない)周辺の古い地図を閲覧していて、何をしるしているのかわからないものがあるのですが。もちろん、行政にも問合わせましたが、どのような場所であったかは不明であるとの回答をもらいました。これまでお書きになっていることから、控えられることも十分に想定されるので、あらかじめ、お尋ねさせていただきました。下落合ではないといっても、まったくそうとは言い切れず、幹線道沿いと推定できる場所です。凡その現在地もわかります。

2020.01.22 22:43 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

残念ながら地元ではありません。
東京都北区に住んでいるので、そんなに遠くでもありませんが…。

2020.01.22 23:21 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

インターネットでも地図名を入力して画像検索すれば、検索でき、現在の地図と比較すれば、位置関係から容易にその場所はわかるのですが。
地図名は、地名+絵図です。あのあたりが高台となっていたのかなあとも思いますが、今は周辺の様子を見る限り、痕跡すらありませんが。

2020.01.23 11:56 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

わからないので、
緯度経度情報を教えてください。

2020.01.23 16:06 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

赤山道と埼京線が交差する北・西側あたりと推察できる場所に、こんもりとした山に松が一本生えているような場所があります。これはなんなのでしょうか?赤山道は当時の幹線道ですよね。東に行けば、江戸時代の高谷橋につながります。

2020.01.23 18:36 URL | #- [ 編集 ]

場所はわかりました。

「台の坂」という名前があるらしいです。明治大正5万分の1図に「臺」という地名が載っており、赤山街道の赤山橋と高谷橋の間の微高地を指すようです。「台の坂」はその西側の坂を指しているのでしょう。

「こんもりとした山に松が一本生えているような場所」なんですが、これはあくまでも推測の域を出ませんが、古墳なのではないでしょうか?

有名な「将門の首塚」も元は古墳だったらしく、下の記事に絵図が載っています。

http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-5524.html

また、さきたま古墳群の丸墓山古墳(忍城攻めのとき石田三成が本陣を構えた場所)もこんもりとした山に木が生えています。下の記事のいちばん最後の写真。

http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-1795.html

上落合神明神社の真西にあるとしたら、ますますその可能性が高くなります。

今は北を向いて拝礼するように社殿ができていますが、明治初年の地図だと西を向いて拝礼していた可能性があります。

森高千里の「渡良瀬橋」に出てくる八雲神社は、背後が山になっていて、社殿の真後ろが前方後円墳になっているからです。

神明神社は、天照大神を祀った神社で、伊勢信仰の系統に属しますが、その前は氷川神社の社領だったらしく、あとから伊勢系統に変えられた可能性があります。

2020.01.24 00:16 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

台の坂は、たしかどの絵図か忘れましたが、今回の地点から鴻沼川に至るまでの赤山道に記されているものがあったと思います。下落合村については、権利関係までしるされた地図の写を入手しましたが、このサイトの中心的なテーマになるような場所は、見当たらなかったです。むしろ、別の絵図に記された「給之入會」や「但し入會」を裏付けるほど、権利関係が複雑でした。

2020.01.24 10:16 URL | #- [ 編集 ]

これまで元禄期につくられた絵図2枚、19世紀に製作された絵図2枚の下落合村に関わるもの、同じく19世紀に製作された上落合村に関わる絵図1枚、あと上木崎村に関わる絵図1枚を細かい文字まで調べましたが、このサイトのテーマと思えるような文字が記されたものは、確認できまんでした。行政にも、色々な資料を請求し、丁寧に対応してくださってますが、該当するものはありません。図書館にどのような資料の請求の仕方をしたかは、存じませんが、そんなに容易に入手できるものかと考えてしまいます。ここしばらく週末には、調べて調べているんですが。どのように思われますか。

2020.01.24 20:12 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

北袋村が入手できたらコンプリートですね。
下原刑場=吉敷町は人が住んでいなかったので、無理でしょうけど…。

「獄の墓」と書かれた絵図なんで無いのかもしれません。←というより、無いのでしょう。


実話怪談の場合、厳密に検証する人もあまりいないので、オカシナことがけっこうあります。ファンキー中村氏の「厳重事故物件」という実話怪談では、1982年が「バブル真っ最中だった」なんて平気で言ったりしてます。正しくは、バブルは1986~90年で、91年がバブル崩壊の年です。

1年くらい前に、西千葉駅前の「祟りの松の木」がTwitterで話題になったことがあり、この駅を使っていたことがあるので、検証したことがあります。結果は、そもそもこんな場所に刑場はつくらないってところが刑場だと言われていました。

http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-10545.html

ここには書きませんでしたが、1983年に千葉大女医殺人事件が起きると、「祟りの松の木」を切って家を新築したから、事件が起きたとウワサされました。この新居は本千葉駅から1kmくらいの場所にあったそうです。このウワサがホントだったら、「祟りの松の木」は、別の場所にあったとされ、もう切られてしまったので、西千葉駅前に現存するわけないのですが…。w

http://yabusaka.moo.jp/chibadaijoi.htm

西千葉稲荷が刑場跡だとする都市伝説と千葉大女医殺人事件の「祟りの松の木」のウワサが融合して、西千葉駅前の「祟りの松の木」になったのかもしれません。

2020.01.24 23:16 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

県立文書館には、全部で文書番号にして5つの上落合村絵図があると、検索データ上、なっておりますが、インターネット上のデータとしてあるのは、そのうちの一つで文書番号(5224)もわかっているのですが、他の4つとどう違うのかが気になります。もしご存知でしたら、あるいは、行かれる機会がございましたら、是非、ご教示下さいませ。あと、きになるのが、足立郡上木崎村市川家文書6と足立郡上木崎村市川家文書10 開発ニ被仰付候場所 木崎領上木崎村絵図で、全部だと思います。北袋村絵図というものがあるのでしたら、入手手続きを行おうと思いますが、あるのでしょうか。今まで、みたことがありませんが。
さいたま市さんは、とても親切で丁寧な対応をしてくれることが分かりました。絵図展示の件で、耳寄りなお話をおうかがいいたしました。

2020.01.24 23:42 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

あと、このサイトの主題となっている、そもそもの調べ物をしていた方が、お亡くなりになった日というのが、12月16日で、翌17日に現在の語り部さんのところにお亡くなりになった情報がはいったということですが、私が救急搬送された日が、12月17日で、くずし字の読み方について、行政からの情報を頂いた日も昨年の12月17日だったので、別にこの日に取り立てて意味を持たせる必要はないのですが、偶然が重なっているようです。

2020.01.25 10:11 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

埼玉県立文書館のサイトで検索してみました。

>5つの上落合村絵図
氷川神社社家である「西角井家所蔵文書」ですね。

>足立郡上木崎村市川家文書6
・[絵図](氷川神社領秣場争論一件写)
・[絵図](上木崎村)

>足立郡上木崎村市川家文書10
・開発ニ被仰付候場所 木崎領上木崎村絵図
・開発被仰付候場所 木崎領上木崎村絵図
ともに享保10年12月

北袋村の絵図はなさそうです。

利用書・複写申請書を印刷して持って行けば利用・複写できるようです。
http://www.monjo.spec.ed.jp/

2020.01.25 10:55 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

>下のコメント
シンクロニシティですね。w

2020.01.25 10:57 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

『与野市史通史編上巻』という書籍に、元禄三年と元禄七年に製作された「与野領落合村絵図」の両地図の写しが掲載されているということです。下落合村のその当時の権利関係が克明に記されております資料で、元の資料というのが、痛みが激しく、元禄7年のものは、現在、修復中らしいです。『大宮市史 3 下 近世地誌編』の「大宮宿字地図」というものもありますが、私自身、この資料は、下落合村の当時の土地の権利関係を知る上ですごい資料だと考えております。このサイトの主題となるものについては残念ながら記されていませんが、用水路と川の関係、そしてそれぞれの場所の土地の権利者の名前などが、詳しく記されている資料です。「与野領落合村絵図」という資料がすごく気になっていたのですが、ようやく写(概要的なものですが)を入手することができました。七年製作の実物がもしかしたら、権利者様のご好意で、展示されるかもしれません。まだわかりませんが。

2020.01.26 12:14 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

『与野市史〈通史編〉上巻』←地元の図書館に下巻だけありました。なぜ下巻だけ…。orz

『大宮市史』←なぜ『与野市史』があって、『大宮市史』がない。orz

さいたま市図書館にどちらもあるようなので、チャンスがあったら読んでみたいと思います。

2020.01.26 13:52 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

地元の最寄りの公立図書館になくても、県内や都内の他市の公立図書館からの借入制度というものがありますから、図書館の司書の方に相談されれば、少し時間はかかりますが、借り入れるこことは可能です。あと、市制30周年記念の与野の歴史という書籍も非常に興味深そうな内容です。これにも絵図の写が貼付されていると思うのですが。
しかし、最近は、私以外の方の投稿がないようですが、皆さん、該当の場所を発見されたのでしょうかね。私も、頭の中で、落合地区の地図が頭の中で思い浮かぶようになってきました。はっきり言って、場所がわかっているという方がいれば、江戸時代の地図の内容から、こういう場所やってんで、それでもそこにあったのかなあとお聞きしたいです。もちろん、絵図のない検証できていない場所もありますが。

2020.01.26 16:57 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

なるほど、その手がありましたね。
でも、しばらくは使わないと思います。

2020.01.27 10:28 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

行政に以下の事項についてズバリ、聞いて見ました。「埼京線北与野駅からさいたま新都心駅周辺と思しき江戸期以前の古地図における『獄の墓』の表示について」⇒以下、回答。
調査しましたが、「獄の墓」の表記のある地図は見つかりませんでした。また、表記のある図書も見つかりませんでした。埼玉県の古文書や地図を取り扱う、埼玉県立文書館にも問い合わせましたが、文書館が現在大規模改修工事中のため資料を確認できないことと、標記お探しの地域の古地図は少なく、おそらく表記のある可能性は少ないのではないかとのことでした。「板橋処刑場」周辺をお調べになったとのこ(念のため足立区の「竹の塚」についても調べてもらいました)とですので、さいたま新都心駅付近にあった刑場についても調査しました。
以下の資料に刑場に関係する記述がありましたが、、「獄の墓」の表記はありませんでした。
参考までにご紹介します。参考図書をお示ししてもいいのかが不明のため、念のため、控えさせていただきます。
かなり、丁寧にお調べていただきましたが、過去に図書館に古地図を請求して、窓口からそのような資料を手渡されたのならば、履歴が残っていて、行政も把握されていると思うのですが。

2020.02.10 20:31 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

わざわざありがとうございます。

やはり「獄の墓」と書かれた古文書・古地図はないようですね。

やっぱり読み間違いか、創作なのかな?

2020.02.10 21:13 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

参考図書をいつくかご案内してくださっておりますが、資料には、刑場に関係する記述がありましたが、「獄の墓」の表記はありませんでしたとして、4つの参考図書をご紹介してくださっており、内、2冊に古い書物か何かを参考にした手書きの地図が掲載されているとのことです。行政にも、お忙しい中、お時間をとっていただいております。どの書籍も図書館の郷土史のコーナーにあるような図書のタイトルとなっております。
見沼代用水の西縁から落合の高谷まで開削した時期については、そんなに古いという認識ではないのですが、下原の刑場というのは、いつごろ開場したのでしょうかね。それまではどんな場所だったのかなど知りたくなります。なにせ資料がなくて、困っております。大宮宿の生活排水を流すのに、中山道の西側を中山道にそって南へ流れる悪水路があって、これと開削した高沼用水路とが、落合の高谷あたりで合流していたとのことです。大宮宿あたりの悪水路が2箇所で中山道を東西を横切って橋となっていた1つが中之橋(泪橋)だということだそうですが、、、

2020.02.10 22:11 URL | 夕闇は路たづたづし #- [ 編集 ]

1728(享保13)年に見沼代用水が普請されたとき、高沼用水も普請されたようです。

1789(寛政元)年、長谷川宣以(平蔵)によって捕らえられた盗賊・神道(真刀)徳次郎が処刑された場所なので、その頃には刑場になっていたことになります。

2020.02.11 23:49 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]












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