佐々木俊尚[著]『「当事者」の時代』(光文社新書、2012年)の第三章「異邦人に憑依する」から「〈被害者抜きの加害者〉論の誕生」について考える。


まず、小田実の〈被害者=加害者〉論が、戦後すぐの〈被害者〉論に代わって、1960年代後半に台頭する。

 一九六〇年代まで、日本人には自分たちが戦争の〈加害者〉でもあるという意識はきわめて薄かった。空襲や満州からの引き揚げ、南方・中支戦線などでの過酷な従軍――。そういう悲惨な体験を生きぬいて戦後を迎えた戦争体験者が、日本人の中の圧倒的多数を占めていたからだ。

 だからこのころまでは、反戦運動は「あの悲惨な戦争をもう一度くり返さないようにしよう」「もうあんな酷い目にはあいたくない」というような、〈被害者〉体験からくる気持ちが軸になっていた。

 これが〈被害者〉時代である。

     (中略)

 しかし太平洋戦争の敗戦から二十年も経ってくると、徐々に戦争体験者は高齢化するとともに、一方で、敗戦時にはまだ物心もつかないような子どもだったか、あるいは戦争をまったく知らない世代が台頭してくる。そういう若い世代のこころに、〈被害者〉論はあまり刺さってくれない。

 そういう世代交代を背景にして、小田を中心としたべ平連の人たちが提唱したのが、

 「いやでも、あなた方は被害者であると同時に、加害者でもあるんですよ」

 という〈被害者=加害者〉論だったわけだ。自分たちが戦争の〈被害者〉であるということが心の痛みにならないのだったら、では自分たちが〈加害者〉でもあることに目を向けようよ、というわけである。

同書282-281頁
この〈被害者=加害者〉論には、自分たちも〈被害者〉から〈加害者〉になるかもしれないという想像力を持つことで、〈加害者〉を一方的に非難できないのではないかと考える積極性があった。

 小田実がこの論でよく例に出していたような「ベトナム戦争に兵士として駆り出され、その結果としてベトナム人を殺害するアメリカの若者」「米軍によって土地を奪われ、その結果基地労働者になって爆撃機に爆弾を積み込む沖縄の農民」といった人たちのことを考えてみてほしい。

 彼らは被害者であり、だからこそ加害者になっている。彼らには「ベトナム人を殺害した」「ペトナムヘの爆撃機を準備した」という罪はあるかもしれない。でもその罪は、必ず「アメリカ政府に命じられた」「アメリカ軍に土地を奪われた」という被害とぴったりと接着されている。

 不可分なのだ。

 だからアメリカの若者や沖縄の農民を批判する人たちは、その前にいったん深呼吸をして、彼らが同時に被害者でもあることを考慮しなければならない。ただ単に「ベトナム人を殺すな!」「爆撃機に爆弾を積むな!」と非難するだけではすまない問題がそこに横たわっている。だから批判する側はとても慎重にならなければならないし、それに加えて、相手の「被害者だからこそ加害者になってしまった」というどうしようもない宿命を思いやり、ともにその境遇を悲しむような共鳴感覚を持たなければならない。

 そしてそういう共鳴感覚は、加害者を批判する側にも大きな影響を与えるだろう。たいていの人は、一方的な加害者でもなければ一方的な被害者でもない。さまざまなものごとや事象において、私たちは加害者と被害者の間にいて、ときには知らず知らずのうちに加害者になり、ときには思いもよらない被害者になり、そうやって揺れ動きながら生きている。

 アメリカの若者や沖縄の農民のような被害者であるから加害者になってしまう人々を知るということは、それはすなわち、自分たちもいつそのような境遇になるかもしれないという想像力を持つということでもある。

同書280-281頁

そして、この〈被害者=加害者〉論の立場に立つことで、新たにマイノリティへの視線が形成されるようになる。

 戦後初めて台頭してきた、新たなマイノリティヘの視線。それは一九六〇年代までまったく放置されていたアジアの戦争被害や在日朝鮮人・アイヌ・ジェンダー差別など、さまざまに隠されていたマイノリティの社会問題を一気に表舞台へと押し出し、可視化させる役割を果たした。

同書278頁

しかし、〈被害者=加害者〉論は〈被害者抜きの加害者〉論という鬼子を産むことになる。

 しかし、このマイノリティ視線は思いも寄らない副作用をもたらした。しかもその副作用は強烈で、致死的な毒を含む副作用だったのである。

 それは言ってみれば、薬物のオーバードース(過剰摂取)のようなものだ。つまり人々は〈被害者=加害者〉論を過剰に受け入れ、踏みこえてしまったのである。

     (中略)

 広島で聞かれたある平和集会。この集会がいつのものだったのかを小田は記していないけれども、そこで発言した若者に「革命の志を持っているように見受けられた」と書いていることから、おそらくは革命気運が最高潮に達していた六九年からそう離れてはいない時期だったのだろう。

 平和集会では、年老いた女性が重い口を開いて、とつとつと自分の被爆体験を語りはじめていた。

 ところがその瞬間、ある若者が女性の言葉をさえぎり、居丈高にこう言ったのだ。

 「あなたの体験のことはもうみんなが知っていることだ。そんなことより問題は、あなたが自分も加害者だったという事実をどれだけ認識しているかだ」

 これこそがオーバードースである。

     (中略)

 もともと小田が提唱した〈被害者=加害者〉論は、前にも説明したように、「被害者であるからこそ加害者になる」という論理によって成り立っていた。つまり被害者であることと、加害者であることは不可分なのだ。ところが「あなたは加害者だろう」と批判したこの若者の頭の中からは、被爆体験を語った年老いた彼女が被害者でもあったという部分が完全に失われてしまっている。小田はこの若者のことを、

 「被害者体験を蹴飛ばすようにして加害者責任を追及するというせっかちで思い上がったことをやってのける若者が出てきたりするようになった」

 と書いている。つまりは〈被害者=加害者〉論ではなく、〈被害者抜きの加害者〉論の誕生である。

同書278-280頁

この〈被害者抜きの加害者〉論は、〈マイノリティ憑依〉と結びつくことで、とんでもない害毒を発し続けるのだ。

太田竜の〈マイノリティ憑依〉

それは、広島の平和集会で小田実が目にした若者のように、《被害者でない人たちを全員、加害者の側に押しやれてしまうこと。自分たち被害者以外はすべて加害者として断罪できてしまうこと(同書325頁)》なのだ。

2017.05.31 | | トラックバック(0) | コメント(0) |












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