欅坂46「月曜日の朝、スカートを切られた」の歌詞が、実際にスカート切られた女性から傷つけれたと抗議されている。

アイドルグループ欅坂46の楽曲『月曜日の朝、スカートを切られた』の歌詞に対し、過去、スカートの切り裂き被害に遭った人が異を唱えている。署名活動サイト「change.org」では、同曲で傷つく人が増えないようにしたいとの思いを持った女性が、署名活動を始めた。

欅坂46「月曜日の朝、スカートを切られた」が波紋 切り裂き被害者が「不謹慎」と指摘、署名活動へ

MVおよび歌詞はこちら。

月曜日の朝、スカートを切られた

以下は訴えている女性の主張である。

こんにちは。

今回私が主張をしたいのは欅坂46の【月曜日の朝、スカートを切られた】という曲についてです。体験談が長くなりますが見ていただけると幸いです。

いまから2年前のお話になりますが私は学校の行事のため普段とは違う路線を使い目的地へと向かっていました。その路線はすごくこんでいることで有名な路線です。

目的地へ降りたあと親切なおばあさんがスカートを切られてることを教えてくれてはじめてスカートをずたずたに切られたことに気がつきました。たまたまその日は学校の体育着を着ていたため肌には傷が付いてませんでした。

当時制服のスカートを着てまだ1ヶ月しか経ってない私はなにをしていいのかわからなくなり駅員さんに相談しました。その後学校の先生が駅まで走って着てくださり一旦は終わりました。

そらからというもの私はその路線に乗るのが憂鬱で仕方がありません。そんな中で欅坂46の新曲の【月曜日の朝スカートを切られた】という曲はとても不快です。

そう感じるのは少なくとも私だけではなかったようです。私の切られた路線では他の学生もスカートを切られていました。その沿線の学校が警察に警備を強化するように申請したためその後スカート切りの犯人が捕まりました。

その時切られた学生さんなのでしょうか?たまたまTwitterを見ていた時にすごく嫌だ。2年前のことを思い出す。やめてほしい。というのを聞いたりして今回はここに意見を綴らせてもらっています。

この曲をテレビで紹介しているときに嫌な思い出が蘇り電車に乗るのがまた怖くなりました。いまは落ち着いてますがとても怖いです。

たくさん傷ついている人がいる中でこんな曲を出すのは不謹慎だと思いますしこの曲のせいでこのような犯罪が増えてはとても困ります。電車に乗れない人だってもっとたくさん出てきたっておかしくない状況になることも考えられます。

そんな人をへらすためにどうか皆さんお力をお貸しください。

【欅坂46】月曜日の朝、スカートを切られた の曲で傷つく人が増えないようにしたい。

スカートを切られるという被害に遭ったことは、たいへん気の毒だと思う。ただし、この歌は、「月曜日の朝、スカートを切られた」という被害を訴えているだけで、スカートを切れ!と煽っているわけでも、泣き寝入りしろ!と強要しているわけでもない。

しかし、犯罪被害者が歌のせいでトラウマを思い出すというのなら、それはそれで問題である。欅ヲタの中には「聞かなければ(・∀・)イイ!!」的な発言も見られるが、オイラが買い物に行かされるスーパーでも去年の秋は「二人セゾン」が何回もかかっていた。「月曜日の朝…」は、アルバム曲だからそんなに頻繁にかかるわけではないが、聞きたくない人も聞かされてしまう。それが「売れている」ってことだ。

この歌詞、「努力は報われますよ 人間は平等ですよ」と「したり顔で」言う大人が「無視された社会の隅に存在する孤独」を抱えた「私の何を知る?」って話が中心で、「どこかの暗闇でストレス溜め込んで」いる犯人に「憂さ晴らしか(なんか)」でスカートを切られたが、そんな奴を喜ばせるために「私は悲鳴なんか上げない」の方は「サイレントマジョリティー」につながる「きっかけの事件」なのだから、べつに「スカートを切られた」でなくても(・∀・)イイ!!のだ。

これは、奇をてらいすぎて厄介なことになるの典型みたいな出来事だ。作詞者が女性だったら、自身の体験とか友人の体験を歌詞にしましたってことで、「私は悲鳴なんか上げない」も選択肢の一つだよねって話になる。しかし、秋元康はオッサンだから、おまえがそう思ってるだけだろ!って言われちゃうのだ。

さらにいうと、「スカート、ひらり」「制服が邪魔をする」「ポニーテールとシュシュ」「Everyday、カチューシャ」「ギンガムチェック」と、秋元氏の歌詞にはフェティッシュな嗜好が散見される。これは、稲垣潤一やおニャン子クラブの歌詞を書いてた頃(1980年代)からそうなのだ。だから、「スカートを切られた」って来ると、やっぱりね!って感じなのだ。w

奇をてらうも、フェティッシュなのも、秋元氏のデフォなので、オイラ的には、今回の出来事は起きるべくして起きたって感じなのだ。

あと、長い題名も稲垣潤一の「振り向いたときそこに見える階段を数えたことがあるだろうか」がそうだったので、「鈴懸の木の道で“君の微笑みを夢に見る”と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの」なんて題名でも、やっぱりね!なのだ。w

2017.08.01 | ├ 欅坂46 | トラックバック(0) | コメント(0) |












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