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バイオレンス響=てち?

を書いて思ったのだが、そもそもマンガで文学を扱うって、いちばんやっちゃいけないことなんじゃないのかと…。

これは、さくちゃん(宮脇咲良)が2013年に被災地訪問をしたときのぐぐたす記事である。

さくちゃんの被災地訪問

変な話、この記事でやすす(秋元康)に見いだされ、やすすの紹介でこの記事は有名になった。被災者の方々にはよい表現とは言えないが、いわば彼女の出世作なのである。

これをよしりん(小林よしのり)が『AKB48論』(幻冬舎、2013年)に載せて、絵をつけたのがつぎのマンガである。









このなかで「息子の為に1本でもいいので お線香をあげてもらえますか?」と声をかけてきた女性の話が出てくるが、これは「AKB48 SHOW」でも放送され、ヲタの多くは見たことがある。板野友美が「行こう」って決断して、全員で訪問したため、「板野△(さん、かっけー)」の元になったエピソードの1つでもある。

画力の問題もあるけど、



と思ってしまう。

その理由は、言葉による表現は抽象的・一般的であるのに対して、絵による表現は具体的・個別的であるからである。

   ○言葉…抽象的・一般的
   ○絵…具体的・個別的

「AKB48 SHOW」を見なくても、報道番組で仮設住宅の狭さは知られているし、被災地を知らない人でも、地面や海がキラキラ光っているのは見たことがある。文章を読むとき、人は自らの記憶からそのシーンを思い浮かべるわけだが、変に具体的・個別的な絵が描かれていると、「俺のとはちがうなぁ…」と思ってしまうのだ。

たとえば、「絶世の美女」なる言葉がある。このような表現があると、人々は自分の考える「絶世の美女」を思い浮かべるのである。

中国ドラマに「楊貴妃」があるが、楊貴妃ってどんな顔をしているのか?と問うと、現代人の多くはこのドラマで楊貴妃を演じていたファンビンビンみたいな人だと思う。



しかし、唐の時代の美人は「鳥毛立女屏風」に描かれているような女性であった。



俺のとはちがうなぁ…wwwww

ある意味、文学とマンガは対極にあるものだと思った方がよい。

マンガばっかり読んでいると、想像力のない(麻生太郎みたいなw)人になっちゃうっていうのは、まんざらウソではないのだ。w

2018.04.17 | 日記らしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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