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怪談図書館の「週刊怖い図書館」と聴いていたら、上行寺(じょうぎょうじ)東遺跡の破壊と細郷道一横浜市長急死の話が出てきた。

週刊怖い図書館 第27回 38:00

横穴式住居?なんて言っているが、正確には上記のとおり、上行寺東遺跡のことだ。



上行寺東遺跡とは、神奈川県横浜市金沢区六浦にある中世の遺跡で、現在、洲崎町にある龍華寺の前身で、源頼朝が文治年間(1185~1190年)に六浦山中に創建した浄願寺の跡であると言われている。



1984年にマンション建設の事前調査において発見された。鎌倉の外港的役目を果たしていた六浦湊を望む凝灰石の岩山にあり、「やぐら」と呼ばれる中世期独特の横穴式墳墓群と、頂上部には阿弥陀如来とみられる石窟仏を納めた「やぐら」と寺院跡とみられる遺構が発見された。

しかし、横浜市教育委員会は、横浜の歴史は「開港」とともに始まるので、それ以前の歴史は無視する!という歴史観wに基づき、歴史学者や市民団体の反対を押し切って、マンション建設を認めてしまった。表向きの理由は遺跡について書かれた文献が存在しないことだが、バブリーな時代の風潮に乗ってマンション建設は強行され、遺跡は破壊されてしまった。



現在では、申し訳程度に、遺跡上段部の一部分が強化樹脂製のレプリカ(つまりはハリボテ)wとして隣接地に(つまり別の場所に)復元されている。


怪談(『ムー』に載っていたw)では、細郷市長は遺跡の破壊=マンション造成中に急死したことになっている。

しかし、実際には、1989年11月に右足付け根のリンパ節にはれが見つかり、東大病院に入院した。治療が長引く見通しとなったことから、1990年の市長選に出馬しない意向を表明した。同年2月15日、任期満了を待たず、心不全のため74歳で死去した。つまり、任期中の死ではあったが、闘病中だったので急死とは言えない。

ていうか、マンションができて3年くらい経過しているので、造成中に急死っていうのも事実ではない。

ただし、反対運動をしていた人たちの間で「祟り」と言われていたのは事実である。なぜそんなことを知っているかというと、当時、大学院生だったオイラは、遺跡が破壊される直前に、ここに見学に行き、反対運動をしていた市民団体や研究者から話を聞いていたからだ。

彼らの話だと、遺跡の発掘もテキトーで、中世や近世の発掘の専門家を排除して、縄文時代とか弥生時代の発掘の専門家にやらせてしまい、凝灰岩の表土を完全に剥いでしまった。つまり、荒らされた状態の遺跡しか、研究者は見ていないのだそうだ。

この遺跡は、金沢八景駅から200m南の小高い丘の上にあり、東側に鎌倉の外港・六浦湊のあった平潟湾が入り込み、西には鎌倉に通じる朝比奈の切通しが遠望できる。まさに交通の要衝にあたる場所だったのだ。

そんな遺跡をバブリーなマンション建設のために壊してしまったのだから、反対派からしたら「祟り死に」くらいしろよ!ってキモチだったろう。だから「祟り」のウワサが広まったんじゃないのか?


しかし、いくらレプリカだからって、ゴミやタバコの吸い殻を捨てるのは良くない。



「祟り死に」するぞ!w

2018.05.08 | 心霊 | トラックバック(0) | コメント(6) |

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018.05.10 23:26  | # [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

その後、上行寺東遺跡について調べたところ、下の記録動画が見つかりました。

上行寺東遺跡の記録
http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-9512.html

遺跡を発掘して発掘者が祟り死にしたという話の元になっているのが、「ツタンカーメン王の呪い」ですが、カーナヴォン卿とハワード・カーターが特定のメディアにのみ発掘の撮影を許可したことへの嫌がらせで、他のメディアがでっち上げたデマだったとのことです。

父の実家の隣が神社なのですが、昔は神仏習合で阿弥陀堂がありました。明治の廃仏毀釈で別々にされたのですが、戦後のどさくさで神社が阿弥陀堂の土地を奪ってしまいました。その後、神主の家族が精神病になり、神主自身も急死したのですが、その話をしていたら、父が急に小声で「祟り」と言ったので、さすがに目が点になりました。精神病の家族がいたことは話で聞いていましたが、神主さんは、ものすごく太っており、循環器系の病気で急死したので、「祟り」じゃなくて不摂生でしょって話になりました。w

「悪いことをしたら罰が当たる」的な発想がこの手の「祟り」の話をつくるんでしょうね。

2018.05.11 10:59 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018.05.11 14:16  | # [ 編集 ]

私が浄行寺東遺跡を見学したのは1986年で、発掘はすでに終わっており、動画にあった五輪塔や遺骨は見ておりません。ですから、今回の動画で初めて発掘の様子を知りました。

発掘の結果を記した論文によると、やぐら44基、五輪塔250基、建物10棟、池、井戸、人骨100体以上とあります。このうち、動画に出てきた阿弥陀仏と池、遺跡から見た朝比奈の切通しは覚えております。

そもそも見学したのは、横浜市史編纂に加わっていた助手(当時)の誘いでした。私自身は、メキシコの現代史を専攻していたので、反対運動にもノータッチでした。運動のかいもなく、遺跡が破壊されてマンションが建ち、市長が亡くなって「祟り」のウワサがあったことは聞いております。ただし、怪談好きの人たちにまで知られているとは、今回、初めて知りました。

伯母が認知症でグループホームに入居しており、そこに行く道路が拡張工事中なのですが、遺跡が出てきたらしく、工事を中止して発掘調査をしています。今なら上行寺東遺跡を破壊してマンション建設をするなんてことはできないでしょう。しかし、当時は、バブルのただ中で、遺跡保護よりも開発優先だったのです。

このような過ちを繰り返さないことこそ、破壊された遺跡への供養になると思います。

2018.05.11 20:34 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018.05.18 02:00  | # [ 編集 ]

笹下城の場合、本丸跡が住宅地なので、違和感が半端ないです。公園のような形で整備できなかったのか?と思います。

遺跡は、開発によって見つかることが多いので、すべて保存というわけにはいかないのはやむをえません。しかし、日本は人口減少社会なので、無理な開発は慎むべきでしょう。

鎌倉の海蔵寺近くの「やぐら」は資材や薪置場になってます。
http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-2688.html
お墓なのに、大丈夫か?って感じです。

2018.05.18 13:59 URL | 王子のきつね #NVCdQGYY [ 編集 ]












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