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ブレイディみかこ×松尾匡×北田暁大[著]『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう ―レフト3.0の政治経済学』(亜紀書房、2018年)は良書だが、この本でレフト2.0の人たちが彼らの経済政策を支持するかというと、それは100%ありえない。

その理由は、著者たちが、レフト1.0の酷さを知らなすぎ、安易に持ち上げすぎているからだ。レフト2.0の人たちは、このあとオイラが書く以上の体験をしているはずで、レフト1.0を心の底から嫌っているにちがいない。

そのようなメンタリティの人は、「そろそろ左派は〈経済〉を語ろう」なんて言われても、聞く耳を持たないだろう。


オイラは1986年から87にかけて社会主義協会向坂派の人たちと交流をもったが、ひどく独善的でムカつくことばかりだった。彼らは、女性や朝鮮人への差別意識に満ちているくせに、そのことに無自覚であり、(土井たか子人気で当選したのに)土井委員長の悪口ばかり言っていて、正直、気分が悪かった。

以下はそのときの出来事を時系列でまとめた話である。
【働かない。だから搾取されない】

オイラが某国立大学に入学したのは1982年で、入ってすぐ「日本資本主義発達史講座」50周年記念講演を聞きに行った。「日本資本主義発達史講座」は共産党系の野呂栄太郎・山田盛太郎らが中心になって日本資本主義の発展段階を明らかにしようとした試みであった。

当時の日本資本主義は、地主-小作制のような封建的要素が大きく、その一方で重工業も発展しており、封建的要素を強調したのが野呂・山田ら「講座派」で、資本主義的要素を強調したのが山川均や大内兵衛ら「労農派」であった。

その講演に「社会主義協会向坂派」を名乗る男が現れた。社会主義協会とは、「労農派」の流れをくむ社会党最左派であった。山川・大内が亡くなると、向坂逸郎がその中心となり、ソ連型社会主義を標榜し、(ソ連を批判していた)共産党よりも「左」と見なされていた。

講演後の質疑応答のとき、彼は「働かない。だから搾取されない」と発言。講座派批判をはじめ、聴衆を呆れさせた。オイラは、彼の発言内容はともかく、共産党系の人が集まっている「四面楚歌」状態で、この「壮挙」はスゴイ度胸だと思った。w


【向坂逸郎死去】

1985年1月、友人A君の下宿に何人かで行ったら、向坂逸郎の『唯物史観』があった。オイラが、あのことを思い出し、A君に「働かない。だから搾取されない」って書いてないか?とイジったら、他の連中もA君をからかいはじめた。

怒ったA君が「向坂逸郎なんて死んじゃえばいいんだ!」と発言。すると翌日、新聞に「向坂逸郎氏死去」のニュースが…。もちろん、我々の間ではA君が言霊で殺したことになった。w


【共産党のスパイ発言】

翌1986年、オイラは大学院生になっていた。その年の夏、日本初の衆参ダブル選挙があった。後輩の父親が社会党の衆院議員だったので、その応援に行き、社会主義協会向坂派の人たちと知り合った。

ずっとあのときのことが気になっていたので、尋ねたら「それは共産党のスパイだ」と一蹴された。いやいや、スパイじゃないだろ。共産党が共産党系の講演会にスパイを送って混乱させるって意味不明だ。研究者の集まりに労組の人が入り込んでのトンデモ発言だったので、その浮き方がハンパなく、スパイを送り込むにしても別の人選をするんじゃないのか?とも思った。w

彼らに対する不信感が一気に高まった瞬間だった。w


【無自覚な女性差別】

前年(1985年)に男女雇用機会均等法が制定され、4年制の大学を卒業した女性も一般企業に就職できるようになった。当時、女性は、4年生の大学を出ても一般企業への採用がなく、公務員や教員になるしかなかった。オイラの高校(一応、進学校w)の同級生も、親が大学への進学を希望したが、上記の理由で高卒で就職した女性も何人かいた。

このような変化について彼らに聴いたら、「あれは賃金の問題。(夫の)賃金が増えれば(妻は)文句を言わない」とトンチンカンな答えをした。コイツらの脳内には、女性の自己実現という観念が1ミリもないのかと驚き呆れた。

これがレフト1.0の「経済主義」なのだ。だから、「そろそろ左派は〈経済〉を語ろう」なんて言われると、このときのイヤな想い出しか出てこない。w

それが原因というわけではないが、衆参ダブル選挙で社会党は大敗し、応援していた候補も落選した。


【無自覚な朝鮮人差別】

選挙後の夏、社会主義協会系労働組合のキャンプファイヤーに誘われた。このキャンプファイヤーというのが、「新人類世代」のオイラには「団塊世代」的でちょっと嫌だった。この点にかんしては彼らもレフト1.5になっていたわけだ。w

このキャンプファイヤーには朝鮮総連の女性たちが来ており、彼女たちとフォークダンスをすることになった。フォークダンスって小学校以来なんだが…。当時はまだ北朝鮮による拉致問題なんて知られておらず、朝鮮総連についてそんなに悪感情はなかった。

そしたら、組合員の一人が「失敗したら、ボコられるないか」と発言した。この発言でオイラの記憶は中学生時代に飛んだ。

北区・板橋区は、戦前と戦中、「軍都」と呼ばれ、多くの軍需工場が乱立していた。そこでの労働力として多くの朝鮮人が住み、戦後も残っていて、朝鮮学校もあった。ある日、中学校の裏門に朝鮮中学の生徒が現れ、「○○はいないか、○○を呼べ」と凄んでいた。○○はウチの中学の不良(同級生)であった。担任が来て、彼を説得、帰らせた。

大学の友人K君が、予備校に通っていたとき、北区の十条に住んでいた。彼の友人も十条に住んでいて、道を歩いていたら朝鮮高校の生徒が来た。嫌だなと思っていたら、ナンクセをつけてきた。困ったなと思いつつ、ふと見ると喫茶店が「準備中」の札を出していた。その友人は、「俺は在日でジュンビチュウというんだ」とウソをついて、その場を乗り切ったという。K君に「もし、営業中だったら、なんて答えたろう」と聴いたら、「エイギョウチュウだろ!」と言った。

なんかそういう時代に戻ったようで、嫌なキモチになった。

見たところ、彼女たちは、女子大生といった感じで、ぜんぜん不良には見えなかった。オイラとペアとなる女性と話をしたが、女子大生のふつうの受け答えだった。眼の前の人間がぜんぜん不良に見えないのに、《朝鮮人=不良》って偏見以外のなにものでもないので、大いに呆れた。


【共産党は官僚主義的】

1987年になり、もういいかげん縁を切りたいと思っていたが、社会主義協会向坂派の集会に呼ばれた。新しく加わった人が所信表明をしていたが、それがなかなかイタかった。

共産党をやめた男が「共産党は官僚主義的」と罵っていた。官僚主義とは、秘密主義、わずらわしい手続主義、先例踏襲、画一主義、形式主義、創意の欠如、派閥意識、縄張り根性、役得の利用、傲慢などの意味だが、それは社会主義協会向坂派も同じだと思っていたので、頭が痛くなった。


【土井たか子をバカにする】

衆参ダブル選挙で社会党が惨敗した後、土井たか子が委員長になり、「マドンナ・ブーム」が起こった。1987年4月の統一地方選挙で社会主義協会向坂派の地方議員も多数誕生した。ちなみに、落選した国会議員の秘書をしていた人だけ、なぜか落選したらしく、運が悪いと言われていた。

土井委員長について尋ねたら、「あいつは大した器じゃない」「人気は一時的」とえらくバカにしていた。その言葉の裏には“女に何ができる”的な感じもするので、その土井委員長の人気で当選したくせに、そんなこと言っていいのか?と思った。

しかし、その言葉どおり、ブームが去ったら、そのとき当選した議員たちはみな落選した。


4月から某高校の非常勤講師をすることとなり、それを機に彼らとの関係を断った。しかし、よい勉強をしたと思っている。w

2018.06.16 | ├ 政治ネタ | トラックバック(0) | コメント(0) |












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