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砂防ダムが決壊し、15名が死亡、1人行方不明の被害が発生した。

 西日本豪雨で大きな被害が出た広島県坂町の小屋浦地区。海の近くまで山が迫り、天地(てんち)川沿いを中心に約800世帯が住む。被害が集中した地域には、100年以上前に44人が死亡した土砂災害を伝える石碑があったが、悲劇は繰り返された。

 今回の豪雨で、天地川の河口から1300メートル上流の砂防ダムが崩壊し、土石流が集落を襲った。支流域も含め、地区全体で15人が死亡、1人が行方不明になった。うち上流の小屋浦4丁目の住民が10人、下流の2~3丁目が6人。16人の平均年齢は78歳だった。

水害、石碑の訴え届かず 明治に44人死亡の小屋浦地区

これをもって南堂ちゃんは「砂防ダムは無効だ」と主張している。

 要するに、山の量に比べると、砂防ダムはあまりにも小さい。だから、砂防ダムなんてものはハナから無効だと思った方がいい。こんなものに期待する方がおかしいのだ。

 なのに、人々は「砂防ダムは治水ダムと同程度の効果があって、自分たちを守ってくれる」と信じる。あまりにも無知で勝手な妄想であるというしかない。

 はっきり言っておこう。砂防ダムはほとんど無効である。それが意味をもつのは、「無駄な公共事業をやって、税金を食い物にして、土建業者が儲ける」ということだけだ。要するに、税金の私物化だ。そのくらいしか意味がない。

 そして、そんな無駄な砂防ダムを信じて、いざというときに逃げずにいれば、命を失うしかないのだ。

砂防ダムは無効だ

果たして砂防ダムは無効なのだろうか?
アタリマエだが、この手の防災設備は、災害規模を想定してつくられているので、想定を超えた災害が起きた場合、役に立たない。震度7でも壊れない家を建てても、断層地震で動いた断層の上に建っていたら、すべからく倒壊するようなものだ。

また、多くの土石流を砂防ダムがくい止めて被害を未然に防いでいるのだが、被害が起きていないので報道されない。今回のように、被害が起きると報道されるので、まるで役に立っていないように思えるのだ。これは少年犯罪に似ていて、少年犯罪自体は激減しているが、たまに起きるとメディアがこぞって報道するので、増えているように見える。

以下の動画は、土石流を砂防ダム(砂防堰堤)がくい止めた映像だ。



長野県飯山市にある井出川で発生した土石流を羽広大橋で撮影した動画と、下流につくられた桑名川砂防堰堤がそれを食い止めた動画である。位置関係は以下のとおり。



ちなみに、「桑名川」砂防堰堤とあるが、桑名川は、別の河川で、すぐ東を流れている。たいへんマギラワシイ名前だ。orz

土石流を止めた桑名川砂防堰堤 ~飯山市照岡大どう~

によると、2017年5月19日に融雪による地下水位の上昇で山腹が崩壊し、20日と22日に土石流が発生した。動画は2回目の土石流で、1回目の土石流で堰堤内は9割り埋め尽くされたが、2回目の土石流を防いだのである。

この砂防ダムの下流約1kmに飯山線と県道408号線が走っているので、集落への被害だけでなく、交通被害も防いだ。


さて、砂防ダムは、防災に役に立っているわけだが、別な問題がある。

砂防ダムが土砂の流れを止めてしまうので、下流で河床が低下して浸食が起きてしまう。そして、海への土砂の供給が止まってしまうので、砂浜が消えてしまうなどの問題も起きている。また、生態系への影響も大きく、水生生物の遡上や産卵に悪影響を与えている。下はそれを問題視する動画だ。



このような問題を解決するために、普段は土砂を流し、洪水時に土石流をくい止める砂防ダムがつくられている。コンクリートスリット堰堤や鋼製スリット堰堤である。下は鋼製スリット堰堤の動画である。



それでもマメに除石しないと、水生生物の遡上を妨げてしまうわけで、問題がすべて解決したわけではない。



水害、石碑の訴え届かず 明治に44人死亡の小屋浦地区
遠山武 2018年8月5日05時03分

 西日本豪雨で大きな被害が出た広島県坂町の小屋浦地区。海の近くまで山が迫り、天地(てんち)川沿いを中心に約800世帯が住む。被害が集中した地域には、100年以上前に44人が死亡した土砂災害を伝える石碑があったが、悲劇は繰り返された。

 今回の豪雨で、天地川の河口から1300メートル上流の砂防ダムが崩壊し、土石流が集落を襲った。支流域も含め、地区全体で15人が死亡、1人が行方不明になった。うち上流の小屋浦4丁目の住民が10人、下流の2~3丁目が6人。16人の平均年齢は78歳だった。

 この地区では1907(明治40)年7月にも大雨で土石流が発生し、甚大な被害が出たことがあった。町史などによると、その3~4年後の10年と11年、2基の石碑が建立された。被災の生々しい状況が漢文で記され、死没者全員の名前が刻まれている。当初は河口付近にあったが、2004年にいずれも川沿いの公園に移設された。お年寄りがゲートボールを楽しむ一角だ。

 4丁目の山あいに住む西山シマ子さん(87)は公園を散歩する時、石碑に手を合わせてきた。犠牲になった祖父母らの名前が刻まれているからだ。小さい頃から「この辺は100年に一度、大事(おおごと)がある」と聞いてきた。砂防ダムの完成は1950年。住民も材料の石を搬入する作業に加わり、「これで100年は持つ」と歓迎したという。

 天地川は堤防の幅が最大10メートルほどの小さな川で、流量も少ない。川の近くに住む女性(76)は泥だらけになった自宅の片付けに追われながら、「昔は泳いだり洗濯をしたりしていた。あんなに荒れた川は初めて見た」と話した。豪雨の後、石碑のことを思い出し、「前もこんなんじゃったんやろか」と初めて身をもって考えたという。

 県によると、崩壊した砂防ダムは高さ11・5メートル、幅50メートルの石積み構造。15年2月の定期点検では「経過観察」とされ、補修の緊急性はさほど高くないとされた。県は今回の土石流で崩壊したのは、「せき止め可能な9千立方メートルを上回る土砂が押し寄せた」のが原因とみている。

 一方、県は1基では万が一に対応できないとして、4倍の能力を持つ2基目を造る計画を10年以上前に策定していた。現在、工事用道路づくりに着手しているものの、本体着工の時期は決まっていない。その隙間を突くように、今回の水害は起きた。

 坂町の坂郷土史会は明治の水害から100年が過ぎた08年7月、町内で「水害史料展」を開催し、「山や崖に囲まれた地形では、集中豪雨に遭遇すると被害は必至」と警鐘を鳴らしていた。ただ、同会副会長で地元に住む中屋敷康さん(78)は「実際に起きるとは予想もしなかった」と打ち明けた。

 石碑を今の場所に移転させたのは住民組織の「小屋浦講(こう)連合会」。移転した後、お盆前に毎年、石碑周辺の清掃活動を続けてきたが、今年は見送る。会長の山下幸博さん(66)は言う。「川は長い間安全だったので大丈夫と思っていた。自然の恐ろしさを身をもって知った。災害はいつ起こるか分からない」(遠山武)

2018.08.10 | 時事ネタらしきもの | トラックバック(0) | コメント(0) |












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